Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考の夢を存続させている問い

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はじめに

はいどーもー!
おはようございます。
タクさんです。

皆さんは寝るのが好きですか?
僕は好きです。

寝入りばななんてサイコーに幸せな気分ですもんねー。

ちなみにあの、寝入りばなのいい気分ってね。
ちょっと、思考のしがらみからふわ~って解かれていく。
そんなときのいい感じの気分と似てるな〜って思います。

ま、それもそのはずで、
寝入りばなも思考のしがらみから解かれていきますからね〜。
そういうときって僕らはいい気分になるっぽいですね。

僕らの望みや欲求もね。
叶ったときっていい気分じゃないですか。

これもね。
思考のしがらみから解かれるからだったりするんです。
欲求は叶ったときに、その欲求から解かれる。
というわけです。

ちなみに、叶わなくても、その欲求を手放せば、
それは一緒のことなんですけどね。

そして、思考のしがらみから解き放たれたとき、
そこには「私」というものは一切存在していないんです。

つまり僕らは、毎晩、「私」から解放されてるんです。

 

三昧は夢からの解放

ま、そんな寝入りばなだけじゃなくてもね。
なにかに熱中しているときや、もしくはぼーっとしてる時。
そんなときも僕らは思考から解放されております。

三昧とは、なにかに集中していて、あらゆる思考から解放されることを指し示しておるわけです。

そんなとき、ハッと我に返ったとき、また思考のストーリーに戻っていくわけですね。

そんなわけで僕らは実は1日の多くの時間、「私」から解放されているわけです。

そうしてても、全く問題ないわけですが、思考ちゃんだけはこの思考の回転が止まってしまうことを、なぜか恐れているんですよね。

だから、思考ちゃんは「私」が消えるのを恐れます。
それは、まさに死の恐怖と同じようなものなんです。

思考の夢を存続させている問い

だから僕らは、意識的な状態で思考から解放されそうになると、
なんだかとっても怖くなったりするんですよね〜。

え、やっぱそれってまずいんじゃないの?やばいんじゃないの?
ってな感じでね。

だから、一瞬、ふわ~っと私がいない、何でもなさに溶け込んだときに、
それを、概念として「私」の領域。つまり思考のストーリーに持ち込んじゃったりして混乱しちゃったりするわけです。

この思考ちゃんのストーリー。
いわゆる思考の夢はどのように存続しているのかというと、

「今の私で大丈夫?」
「これであってる?」
「これで正解??」

という問いによって存続していたりします。

僕らは、この問いを何度も繰り返すことによって思考のストーリーを存続させていたりするんです。

そして、思考ちゃんの第一優先の目的は
「私」をより良くする。
「私」と「私のテリトリー」をより良くする。

ですのでね。
私の消滅は絶対に許してくれないんです。

だから、私が手放されると、
途端に、

「やばいっ!」

って注意信号を送ってくるんですよね。

そしてまた、

「今の私で大丈夫?」
「これであってる?」
「これで正解??」

と問うてくるんです。

だからね。
そんな問いが起こったな〜って気づいたなら、

「ま、どっちでもいいんじゃない?」
ってね。
そう答えてあげましょう。

きっとこの答えが、夢からの目覚めの扉をひらくカギになってくれますよん♪

 

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