Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

喧騒と静寂は同居している

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
お散歩大好きタクさんです。

さて、そんな散歩で公園に立ち寄ることもよくあるんですけどね。
なんか最近の公園って子供用の遊具が少なくなってますよね〜。
子ども用よりも、大人が健康のために背中を伸ばすようなベンチがあったりはするんですが、
子供の頃の定番だった、円形でぐるぐる回るジャングルジムのようなやつとかは、
事故もあったせいかめっきり見なくなった気がします。

まー、公園に行っても、子供よりもお年寄りのほうが多かったりしますしね〜。

僕らが子供の頃は、暇な時に公園に行けば誰かがいるって感じだったんですが、
今の子供達は、遊ぶときにはあらかじめアポを取ってから遊んだりしているんでしょうかね?

「〇〇ちゃん、あーそーぼ!」

っていう掛け声もあまり聞かなくなったような気もします。

みなさんは、公園でどんな遊びをされてましたでしょうか??

ちなみに、あの回転する円形のジャングルジムみたいな遊具は日本発の遊具らしいですよ。

 

思考や感情の悪循環

さて、
打って変わって、
僕らの思考や感情もぐるぐる~って感じで展開したりしますよね。

これが緩やか〜な思考や感情なら、それに乗っかってても、
周りの景色も緩やか〜に感じられますので、別段問題はございません。
ゆったりとしたもんです。

ですが、これが急回転しだすと、途端に怖くなってきたりするんです。
そして、余計にギュッとこの思考や感情を握りしめてしまうんですよね。

まるで、あの回転遊具のようにね〜。

これもほっておけば次第にこの回転も緩やかになっていくんですが、
僕らは何度も何度も思考を反芻することによって回転をドンドン加えちゃうんですよね。

そして、回転は早くなっていき、早くなるからギュッと掴むっていうね。

なんかそんな悪循環になったりするわけです。

掴むから巻き込まれる

でね。
そういうときって僕らは、こういった思考や感情をコントロールしようってしちゃうんですよね〜。

ですが、コントロールしようとすると、やっぱり回転を加えることになっちゃったりしてね。
余計に回転速度が上がっていったりするわけです。

ただ、オモシロイことに、思考や感情の回転ってね。
実体がないものですのでね〜。

実際にはなにもないんですよね。

回転遊戯を掴んじゃうと途端に自分もその回転に巻き込まれちゃって、
あれよあれよとその回転の中に入り込んじゃうんですが、

「へぇ〜。回ってるねぇ〜。」
ってね。
ただ眺めていると、その回転はしばらくすると弱まり、止まるんですよね。

喧騒と静寂は同居している

全てはそのまんまで完全であり完璧なんですけどね〜。
僕らというか、いわゆる思考の理屈としては、
完全とか完璧というと、そういう状態だと思っちゃうんですよね。

完璧な状態とか完全な状態って感じでね。

完璧さや完全さは状態ではないんです。
状態というのは常に不安定なんです。そして幻想なんです。

全ては完全であり、完全の中に変化があるわけです。

あらゆることは常に変化しつづけていて、それでいて静寂なんですよね。

常に変化をしているのに静寂ってどういうこと?って感じるかもしれませんね。

この変化を翻訳する機能として思考や解釈があるわけですが、
この思考や解釈が静寂をかき消しているんです。

つまり変化が静寂をかき消しているわけではなくて、変化に対する解釈がかき消しているということでしてね。

本来は静寂と変化は矛盾しないんです。

そして、この思考や解釈をつかむことによって、その回転に取り込まれるということなんです。

だから、しがみつくんじゃなくて、ただみてあげれば良いだけなんです。

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