Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

風流な静寂を味わう

はじめに

はい!どうもおはようございます。
タクさんです。

黄昏時の道すがら、
虫の音を聞きながらボーっとするのも
気持ちのいい季節がやってきましたね。

さて、そんな虫の鳴き声なんですが、
これって求愛の行為だと言われております。

つまり虫にとっては、
「うおー!めっちゃイケメンやんけ!」
「うほー!かわいいやんけ!付き合ってや!」

ってな感じのナンパや出会い系の集まりといったところでしょうか?

僕らは、風流だなぁと思いながら聞いている虫の音も、
虫からしたら大コーフンものなのかもしれませんね。

そう考えると、なんだかちょっと面白いものです。

 

思考の夢は分離の夢

さて、僕らは何でもない中で思考の夢をみています。
何でもない中には分離はありません。

何でもない中で、何かを特定したときに初めて分離という概念が成り立つわけです。

特定とは思考の中だけにある概念です。
そんな分離の夢を僕らは何でもない中でみているんです。

そんな分離の夢から覚めること。それを目覚めだと表現していたりしますが、
この目覚めというのは、分離の夢をなくすことではありません。

分離の夢とはまさに思考の夢のことなんですが、この思考の夢をどこかに追いやろうとしてもそれは無理なんです。

なぜなら、思考もまた、何でもない中でただ起こっていることに過ぎないからなんです。

そんな分離の夢、思考の夢から目覚めるには、その夢をどこかに追いやったり無くしたりするのではなく、ただただ、
「ああ、これは思考だよね!」と気づくことなんです。

思考だと気づくと、それはまさに夢みたいなものだということにも気づきます。

夢を夢と知ること。
それが目覚めなんです。

思考を越えた先ってあるの?

思考を越えた先になにかがあるわけではありません。
思考ってそもそもどこかに在るものではなく、ただ起こっていることですのでね。

道を塞いている丸太のようなものではありませんからね。
越えようがないんです。

むしろ、思考以前に戻ってくると、そこには何でもない今が在るんです。
そして、在るのはまさにそれだけ!
それで全てなんです。

思考の中の夢は、その全てを思考というレンズで歪めているだけのことなんですね〜。

このレンズを通してみたなら、そりゃーそういう見え方になるよね。
といったことも、思考を思考だと知れば知るほどにわかってくるんです。

あなたの隣で、赤いレンズのサングラスをつけている人が、
「うわ〜!空が真っ赤だ!」
と叫んでいたなら、
赤いのは空じゃなくて、あなたのサングラスが赤いんだよ!
って言ってあげたくなるじゃないですか。

それと同じで、思考というのはレンズのようなものなんです。
ただし、モノではなく、働きのようなものなんですけどね〜。

風流な静寂

とはいえ、やっぱり思考の声についつい反応しちゃいますよね。
別にこの反応もまた勝手に起こっていることなので、あなたが反応をしているわけではありません。

だから、反応も含めてその思考の声がただ起こっているんだね〜ってね。
ただ眺めてあげればいいだけなんです。

声の意味はこの際、一切無視しましょう。

まさに、風流な虫の音を聴くかのように、思考の声も聞いてあげれば良いんです。
その声の意味にこだわらなくて良いんです。

へぇ〜。こういう音色かぁ〜ってね。意味じゃなく風流な音色として感じてみると良いかもしれませんね。

これが思考、ひいては思考によって起こった反応(すなわちこれが感情になるんですが)、それを風流に感じてあげたら良いんです。

するときっと風流な静寂を感じられると思いますよ〜♪

 

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