Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

望まない本心も大事にね!

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

さてさて、今日はね。
本心を大事にしようね〜。というテーマで書いてみたいと思います。

本心と建前というものがありますよね。

これが建前ばかりになってしまうと、そりゃーツラいですよね。
だから誰でも、本心を大事にしたいと思うだろうし、
やはり皆さんだって、
「本心で生きていきたい!」と思ってると思います。

もちろんね。
建前が悪い!という話ではありません。

建前もある程度は必要ですもんね。

でも、その建前ばかりになると皆さんもツラいので本心も大事にしなきゃいけないというのはそりゃそーだ!と感じるかと思うんですけどね。

この場合の大切にしたいと思える本心っていうのは、
自分にとってポジティブな本心なんですよね。

例えば、
「自分はこういうのが好きだなぁ〜」
とか、
「こんなふうに在りたいなぁ」
と言ったようなものです。

こういう本心は、わざわざ大事にしようね!と言わなくても、
皆さん大事にしたいと思ってるかと思います。

今日テーマにしたいのは、そういった本心ではなく、
自分でも嫌だなぁと感じている本心のほうなんです。

こういう本心も大事にしてやらなきゃねーというお話です。

 

かき消したい本心

自分でも嫌だなぁと思っている本心。
こういう本心ってのは、自分では本心だとは思っていない場合も多いんです。

例えばなんですが、
「自分はこれが好きで、このために人生を捧げてきたんだけど、
最近はちょっとこれのことが好きなのかどうかちょっとわからなくなってきた。
むしろ、ちょっと辛くなってきた。」

と言ったようなパターンです。

ここで言うところの「これ」にあたるもは仕事だったり夢だと思っていた目標だったりするわけなんですが、

自分が好きで好きでたまらなく、ハマりまくったものであったとしてもね~。
「あ、なんかダルいなぁ。。。」
って感じることってあるんです。

これが例えば大好きな仕事なんだとしたら、
「ダルいだなんて思ってたらダメだ!だって自分はこれが大好きでたまらなくて始めたんだから!」
「このダルさはなにかの錯覚だ!」

ってね。
本心なんだけど、錯覚だと感じて、ぐーっと心の奥の方にこの「ダルいなぁ」を押し込めてしまう場合があるんです。

望まない本心も大事にね

でね。
大事にしてほしいのはこういう場合の本心なんですよね〜。
もし、ここでこの「ダルいなぁ」の本心を見て見ぬふりを続けてしまうと、元々は大好きでハマっていたことだったのに、本当に疲れて嫌になってしまったりしますのでね。

こういうネガティブ系の本心が出てきたとしても、この本心を大事にしてあげてほしいんです。

ボクもねぇ。
基本的には仕事は好きなことをやっているんですが、
それでもしょっちゅうイヤになったり、やる気が無くなったり、
さらには、うまくできなくなることもあるんです。

そういうときによく思い出すのが、映画「魔女の宅急便」のワンシーンでして、

主人公の魔法使い見習いのキキが、ある日魔法を使えなくなって悩んでいるときに絵描きの少女に出会うんです。
そして、絵描きの少女に、スランプの悩みを打ち明けるんです。

その時にね。
その絵描きの少女も、
「私も描けなくなるときがあるんだよ」
ってな話をしてくれるんです。

そして、
「ジタバタして描いて描いて描きまくってもダメなら、もう描くのをやめる」
ってアドバイスをしてくれるんです。

僕はこのシーンが好きでしてねぇ。

そうだよな〜。
描けなくなるし描きたくなくなるのもまた一つの本心なんだから、そういう本心も大事にしてあげなきゃなぁ〜って思ったんです。

ですのでね。
そういったときは、思い切ってそのことを忘れて、散歩でもランニングでも、はたまた漫画を読み耽るっていうのでもいいので、考えない時間というのを作ってみる、しばらく忘れてみるのがオススメです。

そうするとね、ホントに好きなものだったのなら、またムクムクって元々あった情熱も復活してきてくれます。

ですので、望まない本心というものが出てきたとしたなら、
こういう本心も大切に大事にしてやらなきゃなぁ。
ってなことを、ちょっと思い出してみるのをオススメします。

 

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