はじめに
はーい。どうもー!
生き物大好きタクさんです。
僕の生き物好きはもう幼稚園の頃からでしてねぇ。
今までにもいろんな生き物を飼ってきました。
ちなみに、ペットがいない生活をしたことがありませんでして、
常に何かしらのペットがいるという生活を半世紀ほど続けております。
さて、そんなペットなんですが、
飼いにくいペットというのがやはり警戒心が強い生き物ですね~
あまりに警戒心が強いと、こちらに馴染んでくれず、
そのまま死んでしまうこともありますからね。
さて、そんな警戒心ですが、
僕ら人間もまた、かなり警戒心の強い生物だなーって思います。
だから僕らもストレスで死んでしまう。
なんてこともありますもんね。
僕ら人間は、戦闘民族でもあり、さらには警戒心も強く、
弱肉強食の最下層を経験したこともありつつ、
最下層からトップになったという経歴も持っておりますのでね。
なんか、とても複雑な習性を持ってしまったのかもしれません。
昔から弱肉強食のトップにいたのなら、こんなに警戒心が強く恐怖に弱いってことは無かったんでしょうけどね〜。
僕ら人類の誕生が500万年前。
そして、そのほとんどすべての時代において、弱者として生き残ってきたわけです。
弱肉強食のトップにまでなれたのは500万年の歴史のうち、せいぜい1万年位前あたりからで、それまではずっと弱者として怖がりながら生きてきたわけです。
なので、僕ら人類はやたらと怖がりなのかもしれませんね。
同時に戦闘民族としての習性も持っていますので、
強くなってからの人類はちょっとでも脅威になる生き物はもちろん、
その他の生き物も思いっきり乱獲し滅ぼしてきました。
人類ほど他の生き物を滅ぼしてきた種はいないでしょうね。
怖がりのくせに最強で喧嘩っ早いってのは、ちょっと他の生物からしたら最悪なのかもしれませんね〜。
苦悩とは戦うな
まあ、そんな怖がりでありながら戦闘民族でもあるという素質を持った僕らなんですが、
だからなのかどうかはわかりませんが、
どうしても苦悩があらわれるとそれと戦っちゃうんですよね。
苦悩というのは戦って打ち消すこと。
これが唯一の苦悩の対処法だ!!
って思い込んでいる節があるんですよ。
でもねぇ。
これって負け戦になるんですよね。
だって、苦悩というのはイメージで作られますからね。
イメージということはいくらでも作り出せちゃうわけです。
なので、たしかに戦って打ち消すことに成功することもあるんですが、
戦い続けるほどに、勝てない苦悩も出てくるんです。
老後の生活はどうなるのか?
この先絶対に安全と言えるのか?
みたいな、勝てそうにない苦悩も出てきますのでね。
だってわかりようがないんですから。
こんなもんはねぇ。
「知らんがな」案件ですのでね。
相手にしちゃダメなんです。
できることだけ淡々と
お釈迦さんが悟りに至る前にマーラと戦うシーンがあるんですけどね。
このマーラとは煩悩の権化として悟りに至ろうとするお釈迦さんに対してラスボスとして現れる悪魔とされておりますが、こいつこそ苦悩の正体であります。
お釈迦さんはこのマーラにどう立ち向かったのか?と言いますと、
一切の相手をしなかったんですね。
誘惑をしても恐怖を演出しても、一切相手にしなかったんです。
そして、相手にされないマーラはお釈迦さんに降参したというわけです。
この降参をもってお釈迦さんは悟りを開いたと言われております。
つまりね。
苦悩と戦っちゃいかんのですよ。
戦わずに相手にしないでいるんです。
すると苦悩は勝手に降参するんです。
変な話、相手にしないとは明け渡す、お任せする、降参するということでもあります。
あるがままにしておくんです。
そうすることで、勝手に苦悩のほうから降参してくれるんです。
降参すると、降参されるんです。
これはね。
苦悩から逃げ続けろ!というわけではありません。
ただただ、誠実に自分にできることを淡々と丁寧にやるということなんです。
無理せずにね。