はじめに
ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
僕らってね〜。
結構自分のことって知らないんですよね。
究極的には、自分というのは実在しておりませんので、
だれも自分は何なのか?という事を説明することって出来ないんですけどね。
ま、そんな究極的な話じゃないとしても、
自分の本音さえ、実は僕らって気づいていなかったり知らなかったりするんです。
これってね〜。
結構意外ですよね。
ただ、この自分が気づいていない本音のせいでね。
僕らは、葛藤に苦しんでしまう。
なーんてことも起こっちゃうんですよね。
葛藤というのは、簡単に言うと、
「こうしたいのに、出来ない。」
みたいな類のやつです。
そして、私はなぜ出来ないのだろう?
何が足りないのだろう?
ってね。
原因探しをしちゃうわけですが、
この原因探しはどんどん抽象的なものにまで発展しちゃって、
どんどん苦悩の深みにハマって行ったりするんですねー。
苦悩の深み
なぜ私はこんな事もできないんだろう?
から始まってね。
あのときもそうだった。
そもそも、あの時にあんな事があったからできなくなったのだ。
私は人としてなにかが足りないんだ。
なぜ私は足りないんだろう??
ってな感じで、苦悩は深みを増してきます。
そもそもは目の前の問題だけのはずだったのが、抽象的な自分の存在についてまで発展しちゃったりするんですよね。
もう問題が抽象的なものにまで発展しちゃうと、手のつけようがありません。
だって抽象なんですもん。
こんなもん、あるように見えて無い。煙のようなもんですからね。
そんなのに相手する必要なんてありませんし、相手にするだけ無駄なんです。
だから、そうなってるな〜って気づいたら、抽象的な考えは一旦リセットして、
そもそも、何について考えてたんだっけ?
ってことに戻ってきたら良いんです。
考える問題については、「今、目の前のこと」という範囲に絞って、一旦戻るんです。
葛藤の中にある隠された本音
でね。
そんな葛藤たち。
例えば、
「頑張りたいのにサボってしまう。」
「勇気を出したいのに、足がすくむ。」
「やりたいのに、面倒になる。」
「痩せたいのに食べちゃう。」
ちょっとパッと思いついただけのものを書いてみましたが、
もっと色々とあると思います。
簡単にまとめると
「やりたいけど出来ない」
ってやつですね。
僕らは、本音ではやりたいわけですよね。
そのことについては、僕らも気づいているんですよ。
にもかかわらず出来ないってことで、僕らは苦しむわけです。
これね。実は出来ないってのもまた本音なんですよね。
やりたいのも本音なら、やりたくないのも本音なんです。
僕らの本音って、思考の本音と行為としての本音があるわけです。
つまり、どっちに転んでも、本音が叶っているわけですから苦悩なんてしなくて良いんですよね。
ただ、葛藤する本音の場合、どちらか一つは恐怖から逃げたいという思いからくる本音があったりするんですよね。
その本音を採用した場合、恐怖も一緒に採用しちゃうからなんだか嫌な感じが残っちゃう。っていうね。そういうこともあるんです。
まあ、それもそれで良いじゃんか!ってことなんですけどね。
それが嫌なら、オモロイ!と思う方の本音はどっちなんだろう?って探ってみるのも良いかもしれません。
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