Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

この世はジョークってどゆこと?

はじめに

はいどうもー。
ボケかツッコミか?と言われれば、
僕は自分ではボケだと思っていたのですが、
最近ではツッコミになってきたのかな〜と感じるタクさんです。

そういえば、海外のスタンダップコメディーなんかでは、
ボケだけで成立していてツッコミというのはお客さんに委ねているってパターンが
多いのかな?
って思いました。

日本の漫才なんかでは、ボケに対してツッコミを入れて笑いにする。
このツッコミがまたボケになっていたりして余計に面白いんですけどね。

海外の笑いでは、
「ほらー、私は今、ボケてるで〜!」って表情をしたりしてますもんね。
そこでお客のほうがそれに気づいて笑う!
みたいなね。
そんなパターンがよくありますよね。

このあたりは、ボケを理解する知的な要素も含まれていたりして、
ちょっと文化的には短歌や俳句に近いものも感じられます。

短歌や俳句って、極端に言うと2つの意味を持つ言葉を使って
ちょっとしたダジャレ表現をしたりしますもんね。

そしてこのダジャレに気づくかどうかは読む側の知的センスにまかせている。
みたいなところがあります。

この知的センスの部分をかわりにこちらで提供しますよ〜!
というのがツッコミの始まりなんでしょうかね?

ま、こういったお笑い論は僕も関西人として好きではあるので、
そんなことをやたらと考えてしまいます。

さて、皆さんはボケでしょうか?ツッコミでしょうか?

 

この世はジョーク

よくこの非二元の話では、
「この世はジョークなんだよ〜。」
「まさにこれはよく出来たジョークさ!HaHaHa」
なんてね。特に英語圏での表現で言われてたりするんですが、
ま、まさにこの世というよりは、僕らが現実だと思っている世界観ってある種のジョークに似ているな〜って思っております。

このジョークってどういうことよ?
って思うかもしれませんが、
ジョークって色んな種類があるんですが、僕的にはいわゆる「ドッキリ」に近いジョークじゃないかな?って思うんです。

もちろんこのドッキリには微笑ましいジョークもあれば、冗談じゃないよ〜!と言いたいくらいのジョークもあるんでしょうけどね。

いわゆる「おままごと」を「おままごと」だと気づかずに演じているっていう、
ちょっと壮大なボケのような冗談。
ドッキリをドッキリと気づかずに深刻になるといったような冗談が含まれている。

そんなたぐいのジョークだと思います。

天然ボケ

そしてね。
僕らはこういったジョークに対して天然ボケになってしまっているんだと思うんです。
天然ボケというのは、ボケるつもりがなくてボケになってしまっているということですのでね。
ボケに対してそれを真に受けてしまうっていうのもまた天然ボケの一つだと思うんですね。

そんなジョークに対して真に受けてしまっている時点で僕らは天然ボケになってしまっているかもしれないんです。

天然ボケの人ってジョークつぶしみたいなところがあるじゃないですか。
だってジョークを本当のことだと捉えてしまうんですからね。

天然ボケと二人っきりで会話したことがある人ならわかりますよね。
いくらこちらが冗談を言っても全部本気に捉えちゃうわけです。

もうこれって、ジョークつぶしだしジョークを言っている側も対処のしようがありませんもんね〜。

そんな天然ボケに僕らもなっているのかもしれませんね。

問われるツッコミ力

ジョークに対して問われるのは、やはりツッコミ「力(りょく)」です。
「か」じゃないですよ、「力(ちから)」です。
ツッコミ力です。

このツッコミ力があってこそ、ジョークをジョークとしてあらしめるわけですからね。
ジョークをジョークだと見抜いてるからこそツッコめるわけですから。

ツッコんでみてはじめて、ジョークはジョークになれるわけです。
もしくはそのジョークに笑ったりね。

ま、そんなわけですのでね。
天然ボケから脱するには、まずはとりあえずツッコんでみる!から始めても良いんじゃないかな?って思います。

ツッコんでみて初めて、ジョークの一端が垣間見えるかもしれませんからね。

なのでまず、思考のストーリーになんでも良いからツッコんでみてください。
このツッコミが刺さると、思考のストーリーはジョークへと変貌するかもしれませんよ。

 

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