Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

全ては完全に必然的

はじめに

はーい。
どうもおはよーございます。
タクさんです。

IPPONグランプリっていう番組があるじゃないですか。
大喜利のやつです。

あの番組のお題でね。

世の中がまだ気付いていない
進行中のドッキリとは?

っていうお題があったんですよねー。

ほうほう。
これはいいお題だなと思ってみていたんですが、
僕が一番面白いと思った回答が、
ジュニアさんの

「高輪ゲートウェイ」

でした。

まあでもねー。
実は世の中が気づいていない進行中のドッキリに、
人間のみんなが引っかかっているというのは、
結構マジで思ってるんですよね。

だって、人間以外のどの動物が、
国境という概念を信じているのでしょうか?

また、生まれたての赤ん坊が、
国境のことを知っているのでしょうか?

って考えるとね。
国境なんてドッキリそのものじゃん!
って思っちゃいますもんね。

もちろん、ドッキリは国境だけではありません。
そもそも僕らがこうだ!と思っていることって、
全て一部の人だけが思ってることなんですもんね。

 

ドッキリだと知ってどうなるの?

まあ、この世の全てがドッキリだとして、
それを知ってどうなるの?

ってなことはよく聞かれます。

だって、それでも普通に現実の日常は毎日やってくるじゃん。
ってねー。

そう思ってる方も多いかと思います。

全てがドッキリであるとか、そんなのどうでもいいから、
それよりも、毎日の日常をどうしたら楽になるのか?
こっちの方が知りたいよ!

って方も多いかと思います。

でもこれもね。
やっぱり、全てがドッキリであることを知ることで
楽になれるんですよねー。

苦悩は感じなくなるの?

でね。
次はきっとこう思うかと思います。

全てがドッキリだから、思考からくる苦悩を感じなくても良くなるってこと??

ってね。

これも確かにあるっちゃあるんですけどね。
苦悩はちゃんと感じてしまうんですよ。

なぜなら、思考が起こるのを僕らはコントロールしていないからです。

だから、どんなことも起こっちゃうんですよね。

でもそう聞いちゃうとやっぱり、
「だったらダメじゃーん。やっぱ何も変わらないんじゃん。じゃんじゃかじゃん!」
って思っちゃいますよね。

でもね。
大丈夫なんです。
だって、変わらなくても良いからなんです。

全ては完全に必然的

そもそもこのドッキリってねー。
なんていうか、完全に必然的に起こってるんですよね。

そして、その必然の元にあるのは、ホント愛そのものなんですよ。
これ、理屈で捉えようとすると
「んなわけあるかーい!」
ってなるんですけどね。

でも、ホントそうなんです。

そしてね。
僕らの苦しみのほとんどは、思考の反芻によって起こっております。
ですが、
ドッキリがバレてしまうと、この反芻力が弱まるんです。
なくなりはしないんですけどね。

なので、やっぱり楽になるんです。

ま、厳密にいうと、苦悩と思考の反芻はセットになっておりますからね。

また、反芻が起こるなら、それはそれで良いんです。
それもまた、誰かがそれをしているわけではなく、
ちゃんと必然として起こっているわけです。

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