Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

子供の頃の時間を忘れて夢中になる感覚!アレを取り戻そうぜ!

はじめに

ふいー。
おはようございます。
タクさんです。

ちょっと今週はお盆ボケなのか、
更新がとびとびになっておりましてすんません。

まーでも、やっぱ夏の空は気持ちいいですね〜。

暑い中、皆さんはいかがお過ごしでしょうか??

ちょうどお盆の今頃は、子供の頃でいうと夏休みも佳境に入ってきた頃でしょうか?
田舎に行ったり、旅行に行ったりする時期ですね。

僕もこの頃は朝は「夏休み子供スペシャル」をみて、その後はザリガニを採りに行ったり、
カエルを採りに行ったり、田舎では海に繰り出してヤドカリなんかを採りに行ったりしたもんです。

夢中で遊んで、夕方になってきたころが切ないんですよね〜。

キャッキャ言ってさんざん遊んで、もっと遊びたいのに徐々に夕方になっていくので、
そろそろ帰らなきゃな〜ってなってくるんです。

でも、その後に花火が待ってる!なんてことになると、
早くご飯を食べて花火の時間にならんかなぁ〜って焦ってたのも思い出します。

僕はふと思うんですが、
動物とか虫とか、もしかしたら植物さえも、
実はあの子供の頃の感覚で毎日を過ごしているんじゃなかろうか?
って思ったりするんですよね。

そう思うと、動物たちがものすごーく羨ましく思ったりもします。

 

「かしこ」は目指さなくてもよし

子供の頃の時間を忘れて夢中になってた感覚。
こいつが大人になっていくうちに失われてしまうのってものすごーくもったいないですよね〜。
たまに大人になってもそういう人っていますけどね。
それはある種の天才なんだと思います。

そういう大人ってなんか魅力的ですよね。

でも大概は、どうしても「かしこ」を目指してしまって、
アホを捨てようとしちゃうんですよね。

この、かしことアホの判断って間違ってるんだと思いますが、
僕らは、どうしてもここで「かしこ」を手に入れるには、
子供から大人に成長しなければならない!
って思い込んじゃうんですよね〜。

そして、そうやってきた大人は、
せめて酒に酔っ払って擬似的にアホに戻ったりしてるのかもしれませんね。

「かしこ」になるほど不自由になる

「かしこ」になろうとすることは、たくさんの判断基準を持ち、より良い判断が出来るようになる!ということなんですけどね。
一見、それは役立つような気がするんですが、判断基準が多くなるほど、悪い結果になることも増えてきますからね〜。
つねに、自分はこの判断基準にさらされ続けることになってしまいます。

そして、今の自分は大丈夫なのか?と常にチェックしなきゃいけなくなりますし、
より良いを目指すほどに、悪いが怖くなっちゃいますからね〜。

「しまった!」と思う瞬間も増えてくるわけです。

例えば、
「人に好かれなければならない」という判断を持っていると、
人の顔色が気になってきちゃいますもんね。

気になればなるほど、「しまった!」と思う瞬間も増えてきて、
その都度、変に恐怖を感じなきゃいけなくなったりするわけです。

自分の価値という幻想

もちろん、ゲームをする上では判断基準を持つことは悪いことじゃないんですけどね。
でも、その判断による「良い・悪い」に振り回される必要も無いんですよね〜。

判断を「自分の価値」に適用しなくても良いんです。
「自分の価値」に適用しちゃうことで振り回されちゃうんです。

振り回されることで、よけいに判断材料が自分に突き刺さってきちゃって、
その恐怖のせいで、せっかくの「時間を忘れて夢中になる」が、深刻なものに変わっちゃうんです。

判断材料は、思考のストーリーの材料と同じですのでね。
その判断に深刻になるほど、思考のストーリーへのこだわりになってしまうわけです。

そしてこの思考のストーリーは「今」をかき消してしまうんです。

夢中になるとは「今」にあるという事なんですが、この「今」を思考のストーリーによってかき消されてしまうことで、「夢中」もかき消されてしまうんです。

というわけでしてね。
もう「かしこ」をやめてしまえば良いんですよ。
そうするほどに、「今」が取り戻せるっ!というわけです。

 

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