Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

架空の枷から自由になる

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

よくあるお悩み解決本なんかにはね。
あなたに起こる嫌なこと。
これって実は思考なんです!

だったら、嫌なことで悩む必要はありませんよね。
だってこれは思考なんだから。
考えなきゃ良いわけです。

みたいなことが書いてあったんですけどね。

いやー、悪いことは考えるな!
良いことだけを考えよう!
的なやつってね。

それが出来れば苦労しないよ!
ってことですもんね。

どうやって悪いことは考えないようにできるんだろう?
どうすれば良いことだけを考えることができるんだろう?

って思いますもんね。

そもそも、それができるならこの世からありとあらゆる悩みや苦悩は消えて無くなるはずです。

これは、ダイエットを成功させるには、食べなきゃいいんですよー!
って言ってるのと同じでね。

これができないからダイエット本は本屋から消えることはないのと同じなんです。

思考とはコントロールできるものではないんです。
そもそも、コントロールしようとすることがあらゆる苦悩を生み出す原因にすらなっているんです。

つまり思考をコントロールしなきゃいけないと思っているから、
そして思考はコントロールできるものと思っているから、
僕らは苦悩をするというわけですねー。

ちょっと皮肉なもんです。

 

思考はまさに天気そのもの

そもそもね。
思考はあなた自身ではありません。
さらには、思考はあなたがコントロールしているものでもないんです。

だからね。
思考はあなたのものではないということなんですよね。

つまり、思考は他人のようなものなんです。
人じゃないので、他人というよりは、勝手に起こっている天気のようなものなんです。

今日の天気が晴れだったらそれもよし!
雨が降っていても風が吹いていたとしても、
またこれもよし!
ということなんです。

晴れてよし曇りてもよし富士の山 もとの姿は変らざりけり

これは幕末の剣豪、山岡鉄舟が読んだ句ですが、
まさに思考もこれと同様でしてね。

僕らは、思考の生み出すストーリーをただみているだけなんです。
そして、それは私がコントロールしているものでもありません。

それはまるで天気と同じでして、
晴れていてもそれもまた良し!
曇っていても、雨が降っていてもまたこれも良し!
ということなんです。

思考は誰かがコントロールしているものではない。

思考は勝手にやってきては勝手に去っていきます。
そして、思考は誰がコントロールしているものでもありません。

だからあなたが思考にやたらとこだわる必要はないんです。

雨乞いをしたところで、雨は降る時には降るし晴れる時には晴れています。

雨が良いわけでもなく、晴れが良いわけでもない。

良いや悪いの判断をしているのもまた思考です。
思考が勝手に何かしらの判断を採用して、良いだの悪いだの言ってるだけなんです。

そして、この思考の判断にあなたは一切関係ないんです。

架空の枷

僕らってね。
起こった思考に関してはやたらと覚えていたり、なんでこんな思考が起こったんだろう?ってな感じでこだわったりしていますけどね。

次に起こる思考については知る由もないし、全くわからないんです。

でも僕らは、今後起こる思考さえもちゃんとコントロールしなきゃいけない!ってね。
変な思い込みをしているんです。

この変な思い込みもただの思い込みです。
そしてその思いもまた、あなたがコントロールしているものじゃないんです。
他人なんです。

だからね。
どんな思考が起こるのかを心配する必要もなく、勝手に起こる思考をただ眺めていればいいだけなんです。

思考はあなたと関係がないところで自動的に起こっているんです。

そして僕らはこの思考を全てだと錯覚していたんです。

すべては勝手に、そして自動的に動いている。
このシンプルな事実を発見すること。
この発見があなたをくくりつけていた架空の足枷、手枷、首枷から自由になるきっかけとなるんです。
ありとあらゆる枷もまた実体のない架空のものだったんです。

 

 

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