Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「そのまんま」で「あるがまま」

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【変化が好きだけど嫌いな自我ちゃん】

ほい。
おはようございます。
最近は、絶賛引きこもり中のタクさんです。

もともとインドア派ですのでねー。
もう、家、サイコー!って感じなんですが、
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

さて、僕らって結構「変化!」って言葉が好きですよねぇ。

君もきっと変われる!

ってねー。
そんなん聞いちゃうと、マジで!入会しますっ!
ってなったりしますもんね。

きっと自我ちゃんは「変化!」が好きなんでしょうね。
どんどん良くなりたいっ!と願うのが自我ちゃんのお仕事のひとつなんでしょう。

そして、同時に自我ちゃんは変化が嫌いでもあるんですよね。
変化というのは、どうなるかわからん!ということですから、リスクに感じるわけです。
沈みかけの船に乗っていても、海に飛び込んだら、何が起こるかわからん!
ってなって、なかなかその船から降りられなかったりもします。

自我ちゃんは変化を望み、そして変化を嫌う。
こういう習性をもっているからこそ、僕らもまた、変化を望むけど、変われない。
っていう悩みがあったりするのかも知れませんね。

 

【うまく行っていたのに、また嫌な思考が起きてしまった】

このブログのようなお話を聞いていると、心が軽くなった!という声もよくいただきます。
そして、どんどん良くなっているんだけど、まだ嫌な思考が起こってしまうこともある。
なーんていう悩みもよく聞くんですよね。

でも、嫌な思考が起こることもれっきとした自我ちゃんのお仕事なんですよね〜。
だから、ここに問題はないわけです。
問題があるとすると、それは、嫌な思考は起こるべきではない!という思い込みを真実だと錯覚していることだったりするんですよね。

そして、同時に、どんどん良くならなければならないというのも錯覚ですし、
どんどん良くなることは良いことだ!というのもまた、錯覚だったりするんです。

ここで言う錯覚というのは、そういう思い込みがあることが問題なんじゃなくて、
思い込みが真実であるとしているところが錯覚だったりするわけですね。

【思いは真実ではない】

なぜ、思いが真実であると錯覚しちゃうのか?というと、
やっぱりその思いが自分だと思っているからだったりするわけです。
そして、起こってくる思いは自分であると同時に、自分が思っている。という錯覚もあるわけです。
まさに、「イチローはワシが育てた!」現象のようなもので、
あれこれ全部自分がやった!って自我ちゃんは主張するんですよねー。

これもまた、自我ちゃんの特性なんです。
そして、そう主張するのはそれはそれで、当たり前なんです。
だって、それが自我ちゃんのお仕事だからなんです。

ここを否定しちゃうと、余計にこんがらがってくるんです。
この自我ちゃんへの否定は、自分への否定となり、そして、否定された自分が傷つくっていうね。
変なサイクルが起こっちゃうんですよね〜。

ですが、そういう厄介なシステムも含めて、自我ちゃんがちゃんとお仕事をしているということなんです。

【「そのまんま」で「あるがまま」】

雨が降り注ぎ、川となって、高いところから低いところに流れ、やがて海につながる。
そんな川の流れを否定する人はいないかと思います。

「おいこら!なんで川がこっちに流れてるねん!そんなの許されないでしょ!」
って悲嘆に暮れてる人はいませんもんね。

ちゃんと川は川のお仕事をしているというわけです。

風が吹けば木がザワザワと音を立てます。
日が昇れば、辺りを明るく照らしてくれます。

これらもまた、ちゃんとお仕事をしてくれているということです。
そして、自我ちゃんもまた、同様にちゃんとお仕事をしているだけなんですよね。

ここに否定する要素はないんです。

だから、「そのまんま」なんです。
そのまんまこそ、「あるがまま」なんです。

否定せずにあるがままに在ってみると、このカラクリが暴かれていくんです。

自我ちゃんだけは、「そのまんま」を成長も変化もないものとして捉えちゃうからそれを否定します。
このままじゃダメじゃん。ってね。

それも含めて、やっぱりあるがままだし、そのまんまなんですよねー。

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