Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

目覚めは手に入れるものではない

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
ゼルダの新作をとうとうクリアしたタクさんです。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

まー、今回のゼルダはいい出来でしたわ〜。
ゆったりと寄り道しまくってやっていたので、
200時間くらいかかりました。

さて、こういったゲームの醍醐味はねー。
ストーリー進行もそうですが、
やっぱり、ゲームの中で成長していく。
というのが面白さの素になっているんですよねー。

僕らってね。
ゲームだけじゃなく、趣味でも、仕事でも、
成長が実感できるものに夢中になる。
という特性があるんだと思います。

ゲームだって、昔は得点(スコア)を通して成長を楽しんでおりましたが、今のゲームは、ゲーム内のキャラクターが成長していくという要素が主流になっているのも、僕らが成長好きだからなんでしょうねー。

仕事でも趣味でもやっぱり成長できるところにハマったりしますもんね。

 

思考のストーリー

僕らが思考のストーリーにハマってしまうのも、
その奥には、成長にハマるという特性があるからのような気がします。

思考のストーリーの中で、どのようにより良くなるのか?
そのための材料を僕らは常に探し求めていたりするんですもんねー。

この思考のストーリーは、自我ちゃんのストーリーです。
そしてそれはまさに「夢」そのものなんです。

赤ん坊の頃は、この夢のストーリーを紡ぐ材料をあまり持っていませんのでね。
思考のストーリーに巻き込まれる。
なんてことは無いわけです。

ですが、純真無垢な赤ん坊は、ありとあらゆる材料を無条件に吸収していきます。

そして、「私」という概念。つまり材料を得て、「所有」という概念を得て、とストーリーを紡ぐ材料をどんどんと得ていくんですねー。

この材料が増えるに従って、自我ちゃんストーリーは、よりリアルに、より多彩になっていくんです。

ストーリーは夢そのもの

そんな材料は記憶の倉庫にどんどんと蓄えられていきます。
そして、ストーリーを紡ぐ際にはその記憶から材料が供給されるんです。

そして、ストーリーをより良くするには、より良い材料があればいいということになりますからね。

僕らはその材料を求めて探求するというわけなんですねー。

でもちょっと不思議ですよね?
だって、その材料は全部実体がないんですもん。

なのにまるでそれがあるかのように感じ、その中に巻き込まれているんです。

だからこれは、「夢」なんです。

目覚めは手に入れるものではない

またそんな「夢」からの目覚めを、
一つの成長要素として捉えちゃうと、これまた上手くいかないんです。

これは夢をみるための新しい材料探しにすぎないからなんです。

だって、夢からの目覚めという材料を手に入れることで、より良い夢をみようとすることですからねぇ。

ちょっと矛盾してるんですよね。

またこの話は、そういった夢を今後一切みなくなる。
という話でもないんです。

これもまた、より良くなるための材料探しという考えがあるから、
今後夢をみなくなる自分という材料を欲しがっているに過ぎないんです。

別に、何かが変わるということはありません。
シンプルに夢を夢だと知るという話なんです。

副作用的に、軽くなって楽になったりしますけどね。

 

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