Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

一切の言葉を締め出す

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

えーっと、特技は指芸です。
指芸とは、指を巧みに普通は動かせないやり方で動かせる!
ってやつなんですけどね〜。

いまだに、僕の指芸を完コピできた人は見たことありません。

みなさんは、どのような特技を持っておられますでしょうか?

まー、特技っていうのは、もちろん生まれつきの素養もありますが、
必ずどこかの時点でその技を身に着けているんですよね〜。

でね。
身につけたものっていうのは、別に簡単に脱ぎ去る事もできるじゃないですか。
特技にしたって、やらなきゃ良いだけですからね。

もちろん、できないようになるわけじゃなく、やろうと思えばできるけど、
ただやらないでいること。
これってね。
難しいことじゃないですよね。

服を着たなら脱ぐこともできますよね。

一生、服を着ないで生活するというわけじゃないんですからねぇ。

ですが、何故かこれが難しいと感じることってあるんですよね〜。
それが思考なんです。

 

思考は言葉でできている。

思考というのは、頭の中で紡がれるストーリーですのでね。
言葉でできているんですよ。

思考っていうのを広義でとらえたら、感情とか感覚とも繋がっていますので、心もまた思考の一部になったりするんですけどね。

ですが、狭めていくと何のことはない。頭の中でお話しているだけ。
ということになるんですよね〜。

でね。
この頭の中のお話しなんですが、これって生まれつき出来たわけじゃないですよねぇ。
もちろん、おしゃべりできる能力は持って生まれたものなので、
自然と身に着けた能力なわけですが、でもこれって特技と一緒で、
どこかの時点で身につけたものなんです。

であるならね。
やらないことだって簡単なはずなんです。

言葉は真実でも事実でもない

そもそも、言葉というのは真実でも事実でもありません。
ただ、ルールに従って符号を当てはめたものにすぎないんです。

例えばね。

a+2=3

という数式があるとするじゃないですか。
すると賢いみなさんなら、秒でa=1だな!ってわかりますよね。

でもこれ、嘘ですよねぇ?

だって、aは1ではありませんもんね。

ちょっと子供に聞いてみてください。
「aって1だと思う?」ってね。

「何いってんの?aはaじゃん。見た目の形もちがうし、そもそもaは数字ですら無いじゃん!」
って言ってくれると思うんですよ。

僕らはついつい数学のルールに則って、モノを見ちゃうわけです。

でもこれもね。
このルールを採用しないことというのは、本当は簡単なはずなんです。

一切の言葉を締め出す。

それと一緒でね。
思考を採用しないというのも、本当は簡単なはずなんですよね〜。
ただ、習慣がそれを難しいと錯覚しているだけなんです。

習慣とは、何に対しても思考を使って理解しようとする習慣です。
クセみたいなものですね。
この習慣が、思考をやめるのを思考を使ってやってしまおうとするんです。

思考が介在しない真実を、思考で理解しようとしてしまうんです。

そして、
「うーん。わからんなぁ〜」
ってなってしまったりするんですよね〜。

わかろうとするよりは、一切の言葉を締め出してやればいいだけなんです。

ちょっと習慣が邪魔をして難しく感じるかもしれませんけどね。
本当は難しくないんです。

思考を使っているから難しく感じているだけなんですね〜。

 

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