Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

すでに許されていることを知る

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【はじめに】

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

全ては幻想です。

なーんてね。
非二現界隈では言われてたりするじゃないですか!

全ては幻想です。
真実はココにあります。

ってなやつですね。


これを聞くとねぇ。

「げ、、、幻想だとっ!」「わ、、、ワシは幻想をみておったのか!そりゃーいかん!いかんぞっ!」

ってね。
なったりする方もおられると思うんですよね。

だって、真実だと思ってたことが、幻想だったとしたら困っちゃいますからねぇ。
いろんな計画も練り直さなければならんっ!
ってなもんですもんね。

だって、嘘を信じちゃうと、大変なことになりかねませんもんね。
だから、どうしても幻想を見破りたい!真実を知りたいっ!
ってなるわけです。

思考ちゃんはね。

でね。
その思考ちゃんにのっかって、どうすれば真実にたどり着けるんだろう??
ってなっちゃうんです。

ま、これはまだ思考が真実であり、自分もまたその思考であると思ってるからこその自然の流れなんですけどね〜。

なので焦っちゃうと余計に思考に巻き込まれちゃったりするので、
焦りは禁物なんです。

 

【幻想をみる機能はなくならない】

ぼくらは、幻想をみることが特技であり、この特技を失うことはありません。

いくら、私はいないといったところで、
会社では私として仕事をしなきゃならないですし、
日常はやってくるじゃないですか。

ってねー。
こういう思いを抱いている方も多くおられます。

もしかしたら、この日常がガラっと天国のように変わるのではないか?
ってねー。
これもまた、思考がつくる理屈なんですが、これを信じたり、はたまた裏切られたり。
それでも、なんとか真実を掴みたいって探求したりねー。

でも、いつまでたってもやっぱり普段どおり私はいるし、生活もあるし、
ワンネスだ〜!って夢みたいなことを言ってても、支払いは払わなきゃならないし。

ってね。
なんかそんなところを行ったり来たりってかたもおられると思います。

そもそもね。
何かを知ると、思考も起こらなくなるし、幻想をみることもなくなる。
みたいなねー。
そんなことは無いんですよね。

ただ、起こってるのは思考だということは明らかにわかってくるということだけなんですよね。

【思考に巻き込まれている】

どうしても思考に巻き込まれてしまう。
ってなことを悩んでおられるかたも多くおられます。

でもね。
思考に巻き込まれてしまう。ってことで悩んでるとするのなら、
実は、思考に巻き込まれてしまうってことを実は認識してないんですよね。

変な話、また思考に巻き込まれてしまった〜!
ってなことを気にしているうちは、巻き込まれたことに気づいてないっていうね。
そういうことなんです。

巻き込まれてしまった!っていうことに本当に気づくと、
「別にええがな!」
ってなるんです。
変な話なんですけどね。

巻き込まれているっていうことに気づくだけで、もう解決なんです。
なぜなら、それに気づくと、思考は恐れるものじゃないことがもう明らかになるからなんです。

だから、どんな思考が起こったとしても、別にそれは驚異ではないことを知らしめられちゃうんです。

そして、それを知るから、なーんだ。夢みたいなものじゃん。
ってなるんですよね〜。

思考を思考として観ることで、
なんだ。そんなに恐れることもないんだ!
ということを知るというわけです。

だから、何度も観てるんだけど、まだ思考に巻き込まれてしまう。。。

ってところで、躓いているんだとしたら、それは観てないんですよね。
ただ、それは、「あらゆるものは思考である」という言葉を観念として加工して、
その観念を採用しているということでしかないんです。

あれこれとやってみて、随分遠くまで来たもんだ!とおもったけど、
結局はお釈迦さんの手のひらの上から全然移動してなかった。
ということに似てるのかも知れませんね。

そして、それで良かったんだ!という発見が、どこにも行かなくて良いんだ。
だから、ただ観るだけで良かったんだ!
と知るということなんです。

つまり、なにはどうあれ、今のあなたのままでオールオッケー!だったということになるんです。

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