Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自信に根拠は必要ない

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんは、自信ってありますか?
なんかねぇ。
日本では特にそうなのかもしれませんけど、
自信ある!なんて言っちゃうと、なんかすごい能力を持ってなきゃ言っちゃいけない!
なんてニュアンスがあるのかもしれないなー。なんて思ったりします。

ですがね。
そもそも、自信なんて、無い方がおかしいんですよね。
「はぁー、なんか自信ないなぁ、、、。」
なんて思っている赤ん坊は存在しませんからね。

ですがいつしか、自信をもつにはそれなりの根拠が必要である。

みたいなね。
そんな幻想に取り憑かれちゃったんです。

そのせいで、「自信がない」という幻想が生まれたんです。

そして、そういう自信ってね。
実は自信じゃなくて、何かしらの根拠に自分を当てはめてしまっているんですよねー。

でも、それって自信じゃないんです。
根拠って自信とは全く別物なんです。
そもそも、自信に根拠なんて必要ないんです。

と、いうわけで、今日は自信ということをテーマに書いてみたいと思います。

 

自信に根拠は必要ない。

そうなんです。
自信に根拠ってそもそも必要ないんです。。

だってね。
自信なんてものは信仰じゃないですよね?
自分を信じるなんてものは、信仰ではありません。
信じることすら必要ないんです。

信じる以前のもの。
それが自信なんです。

じゃあなぜ、自信に根拠が必要になってきたかというと、
自分を信じるのに何かしらの条件が必要だという思い込みをどこかで信じちゃったからなんですよね。
そして、この条件というのはいわゆる比較の概念によって作られていますので、いつしか自分は足りないという幻想を産んでしまったんです。

思考の奴隷化現象

そうなりますとね。
どれだけ条件をクリアしてうまくいっても次から次へと安心材料が必要になってきますし、そのせいで自分にとって必要な条件という幻想をたくさん課してしまいますのでね。
ちょっとキリがないんですよねー。

しかもね。
自信というものに条件をつけてしまいますと、その条件がなんか上位にきちゃってね。
自分はその条件の下位になってしまうんです。

これがねー。
いわゆる思考の奴隷化現象ってやつなんですよね。

思考というツールがいつしかご主人様のようになってしまうんです。

そのせいで、思考様のご機嫌をずっと伺わなきゃいけなくなるんです。

思考はツールである

思考の奴隷になってしまうと、常に足りないを自分に付きつけ続ける事になってしまうんです。
なぜなら、思考は満ち足りていることに対しては、どうでもいいことだとスルーし、どこかに足りないものはないか〜?って探し続ける機能を持っているからなんですね〜。

上手く言っていることよりも、上手く言っていないことを最優先するのが思考ちゃんの機能なんです。

しかもね。
思考ちゃんはすべてイメージで構成されておりますので、いくらでも上手くいっていないことを量産できるんですよ。

さらには、この先どうなるかわからない!なんてことも上手くいっていないことにできちゃうんです。

そうなると、もうやりたい放題になっちゃうんですよね〜。

そもそもね。
思考は「私」ではありません。

そして、イメージですので何の力も無いんです。

 

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