Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

きゃー!恐れを消したい!

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

いまさらながら、恐山(おそれざん)って山があるじゃないですか。
あのネーミング、ちょっとヤバいですよね。

もうそのネーミングだけで怖いやん!
ウキウキ登山ハイキングの気分にはならんやん!
ネーミングでオチを言っちゃってる。みたいなね。

あんな名前つけられたら、山もちょっと迷惑なんじゃなかろうか?
キラキラネームどころじゃないんじゃなかろうか?

なんてね。

この名前だけで、なんか広告になっちゃってますもんね〜。

でもこの恐山だって、そのへんの鳥やネコや動物や、木々からしたら、
怖いものなんてなくて、ただの山なんでしょうねー。

ま、そんな恐れなんですが、
僕らってやっぱり恐れに対しては敏感になっちゃったりするもんです。

この恐れが捨てられたらさぞかし楽なんだろうな〜。
って思ったりもしますもんね。

恐れが捨てられたら、さぞかしお気楽になれそうですもんね〜。

 

恐れを捨てれば恐れはなくなる?

でもね。
いわゆるこういった頭の中にある恐れってねぇ。
実際に目の前に在るものに対してじゃない場合がほとんどだったりするんですよ。

大体は、起こっていない未来のことだったりを想像しているに過ぎないんですよね。

つまり自分の中で作ったイメージに対して恐れているんです。

よくね。
この恐れを捨てるには、どうしたらいいのか?
執着を捨てれば良いのか?
欲を捨てれば良いのか?

そうすれば恐れはなくなるのか??

なんて思ったりする方もおられるかもしれませんけどね〜。

別にそこはわざわざ遠回りしなくても、先に恐れを捨てちゃえば良いじゃん。
ってことなんですよね。

恐れからは別に逃げなくてもいいよ

ですがここで、ちょっとしたパラドックスがあるんですよ。

恐れを捨てるということは、もう恐れから逃げなくても良くなる。
ってことじゃないですか。

ということはですよ。
恐れから逃げたい!という思い。これが恐れをあらしめている。
ということになるんですよね〜。

なので別に逃げなくてもいいんです。

そもそも、自分の頭の中に在るイメージですからね。
自分の中のほんの一部じゃないですか。

そんなほんの一部に、全体としての自分が負けるはずないんですよね。

恐れが自分よりも遥かに大きくみえるというのは、ある種の錯覚なんです。

だからね。
恐れを捨てるということは、
「ま、怖いこともあるがな。だって思考ちゃんだもの」
ってな感じでね。

それがあることを許してあげる。
つまりは受け入れてあげるということなんですね〜。

イメージだから実体はありませんのでね。
そもそも逃げる必要すらないんです。

恐れちゃんもまたカワイイやつです

よくよくみてみるとね。
恐れちゃんもまたカワイイやつなんですよ。

かわいいね~ってね。
ムツゴロウさんばりに撫でてやれば良いんです。
それもまた、受け入れです。

大丈夫です。あらゆることはなるようになりますからね〜。
恐れが出ていることも、これまた必然なんです。

なーんにも逆らう必要性はないんですよね。

ま、そんなことを言ってると、
「タクさんは恐れ知らずなんですね!」
なんて言われそうですが、

んなーことはありません。
僕もちゃんと、怖がりです。
みーんな一緒なんです。

 

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