Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

私は誰か?

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ラマナ・マハルシさんっていうね。
有名な聖者の方がおられるんですけどね。

彼はなんか誠実な感じがしてすきなのよね。
だって、悟りのライセンス発行みたいな訳のわからないことはしないし、
私の教えこそが正しい!みたいな事は言わないし、
モノをすごく大切に扱う感じがするし、
余計なことは言わないし、
何と言っても、眼差しが優しいですよね。

ま、会ったことないから知らないんですけどね。

でも写真をみて、その瞬間に、
「ああ、これは素晴らしい人だ!」
ってわかっちゃいますもんね〜。

いや、会ったことないんですけどね。

でもあの人は子供の頃は活発な性格だったらしいんですよね。
沈黙の聖者とか言われてたのに、そこも不思議です。

 

私は誰か?

ま、そんなラマナさんの教えで有名なのが、
「私は誰か?」を問い続けなさいってやつです。

これがねー。
もしかしたら翻訳の関係なのかどうかわからないんですが、
ちょっと日本語訳に若干の齟齬があるんじゃないか?って思うんですよ。

だって、私は誰か?を問い続けなさいと言われると、
これ、言葉通りに取ると、私は誰なのか?を探求し続けることになっちゃうじゃないですか。

でもね。
ラマナさんが言いたかったのはきっとそういうことじゃないと思うんですよね。

あ、もちろん会ったことないから知らないんですけどね。

誰やねんっ!

これは、関西風に言うと、
「お前、誰やねんっ!!!」
って感じにニュアンスが似てるんですよ。

昔のダウンタウンとかがお好きな人はきっとこのニュアンスをわかってもらえると思うんですけどね。

「誰やねんっ!!」
というツッコミ。
これが、私は誰か?を問うということなんじゃないかな〜っておもうんです。

つまりね。
私は誰か?と問い続けるとはどういうことか?というと
「お前、誰やねんっ!!」とツッコみ続けなさい。
ということなんじゃないのか?ってねー。

これねぇ。
やってみると面白いんですけど、
ツッコまれると、演じていた自分があらわになってしまうんです。

するとね。
「あ、ホンマや!私だと思ってた私って、マジで私じゃないやん!」
「ホンマ誰やねんっ!やわーっ」
てなってくるんですよ。

自分が、なにか別の仮面を被って演じてたことに気づくんです。

もちろんね。
奥深くではこの演じていることに気づいているんです。
それを忘れて演技に夢中になってたんですよね〜。

そこに戻ってくるんですよ。
「誰やねん!」とツッコんであげるとね。

だれにツッコんでいるのか?と言いますと
思考の中で「私」と称するものにツッコんでやるんです。

お前はただの思考やないか!って話なんですよね〜。
なんでこの思考を本当の私だと思いこんでいるのか?
ってことなんです。

 

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