Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

高次元ではなくゼロ次元

はじめに

はいどうもー。
おはようございます。
タクさんです。

バベルの塔ってみなさん聞いたことがあるかと思います。
古代メソポタミア文明の頃に建てられた塔で、なんと頂上には神殿があったそうです。

高さは約90メートルとのことですので、今でいうと25階建てのビルに相当する高さだとすると、当時としてはかなりどでかい塔だったんでしょうね〜。

まさに、天まで届けと言わんばかりです。

頂上の神殿は天空から神に降りてきてもらうためのものだったのかもしれませんね〜。

いやー。みてみたかったなぁ〜!
残ってないのが残念です。

ま、古代の人もそうですが、
僕ら人間は、やはり上を目指すこと。
そこになにか成長や、より良いなにかがある。
みたいな思いがあるみたいですね〜。

なので、
何でも積み重ねて上に行けば、きっと何かをつかめる。
みたいなストーリーが紡がれるんでしょう。

でもね。
上が尊くて、下はダメだっていうのは、
完全な幻想なんですよね〜。

まさに、思考ちゃんが作りがちな幻想なんです。

なぜなら、思考というのも、いろんな判断基準や知識みたいなものを積み重ねて、
新しい判断基準をどんどん作っていき、それによって賢くなった!

っていう自負がありますからね〜。

なんでもかんでも、積み重ねたほうがより偉い!
っていう幻想を作っちゃうんです。

 

足元に立ち戻る

ただ、思考ちゃんがいくら知識を積み重ねたとしても、
それはより複雑なストーリーが作られるだけだったりするんです。

複雑なストーリーほど込み入ってますからね〜。
なんていうか、よりストーリーに巻き込まれてしまうわけです。

つまり、ストーリーという幻想が余計に色濃くなるだけなんです。

灯台下暗しじゃないですが、イメージの中で様々なものを積み重ね、
より上の方ばかりを探求するあまり、今ここで立っている地面を見失ってしまっているんです。
この地面こそ大元の地平線であり、全てなんですけどねー。
そこを見失ってしまうんですよね。

高い次元が良いというのは幻想

これはね。
次元も一緒です。
巷では、やたらと高次元を有難がったりするじゃないですか。

次元の概念は、どのようなものかはよくわからないのですが、
やけに高次元につながろうとしてみたりね。

そもそも、次元というものは、なにかしらの空間や時間を掴み取る座標みたいなものとも言われておりまして、次元が高いほど、より多角的に捉えられるってことです。

だから、一見複雑であれば有るほど正確であり、低次元では捉えることができないものが高次元では捉えられる。
みたいなね。
そんな観念があると思うんです。

つまりは、何かを捉えるための取っ掛かりみたいなものですかね。
ボルダリングの突起物みたいな感じでしょうか。

ですが、掴み取ったものはすべて幻想ですからね。
複雑に掴み取るほどに、その幻想は色濃くなるだけなんです。

つまり、高次元であるほどエライ!っていう思い込みは錯覚でして、
むしろ逆なんですよね。

高次元ではなくゼロ次元

よくこの話は思考では捉えられない。思考を超えたものだと表現されますが、
思考を超えるというよりは、思考以前のものなんです。
だから捉えられないんです。

なのでね。
いわゆる次元上昇で思考を超える!っていう話ではないんですよ。
次元上昇なんていうのも幻想のストーリーなんです。

だから目を向けるのは上ではなく下なんです。
無限に続く上を見るほど、その視線はココから離れるだけですからね。
それよりは、すでに今立っているその足元に目を向けるんです。

外ではなく、内なんです。

次元という一切の取っ掛かりを外しちゃうんです。
高次元ではなく、次元なし!ゼロ次元であるその足元にゆったりと腰を下ろすんです。

 

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