Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

捉えないは囚われない

はじめに

はいどうもー。
おはようございます。
アップル製品を買うと、AppleCareに入るべきかどうかいつも悩んでしまうタクさんです。

みなさんは、入っておられますでしょうか?

あれねぇ。
最近値上げされたんですよね。
なので僕は入っていません。
ただ、実は別の保険会社でモバイル製品を3種類くらいカバーしてくれる保険がAppleCareよりも全然安い価格であるんですよね。

なので、一応それに入ってみました。

いやー僕は結構スマホとか落としたりしちゃうんですよね。

まあでも、この保険って商品は憎いですよねー。
だって、絶対に保険会社が儲かる仕組みなんですもん。

 

状態へのこだわり

さて、悟りでも目覚めでも気づきでもコレでも、呼び方はなんでもいいんですが、そういったものを求める際に、結構やっかいな障壁としてあるのが、状態へのこだわりだと思うんです。

僕らってね。
常に状態というものにこだわっちゃうんですよね。
そして、いい状態を保とうと頑張っちゃうんです。

なので、いわゆる「コレ」についても何かしらの状態なのではないか?
って思っちゃうんですよ。

よくこういう話では、「コレ」は全体であり、分離がなく、そして至福であり安心である。

みたいな話があるじゃないですか。

なので、至福で安心な状態を手に入れようと求め、その状態を保とうとしちゃうんです。

ですが、皮肉なことに、状態として手に入れようとしちゃうと、手に入らないっていうジレンマがあるんですよねー。

ちょっとイヤラシイですよね。

でもこれ、
手に入らないのは当たり前なんです。

なぜなら、僕らが状態だと捉えているものは、必ず常に変化するものだからなんです。

状態は必ず変化する

確かにね。
「コレ」を目指す過程で、思考がパーンと手放されるっていうような体験っていうのはあったりするんですよ。

でもね。
これも思考が「体験」と捉えた時点で思考の中では、この体験も状態になっちゃうんですよねー。

そして、状態は必ず変化しますので、この体験もまた薄れてしまったりするんです。
するとまた、あの体験の状態に戻りたいって求めちゃったりするんですよねー。

でも、この話って、いわゆる状態を保つ話ではないんです。

むしろ、状態というのは幻想であるという発見の話なんですよね。

状態も幻想

そもそも、状態というものは存在しておりません。これもまた思考のイメージで作られた幻想なんです。
状態というのは、必ず何かしらの条件が存在するじゃないですか。
そして、その条件をクリアすると良い状態。そうじゃないと悪い状態だとしているだけなんです。

そもそも、この条件すらイメージですのでね。
幻想の類なんです。

また、状態を保つ。つまりは永続させるというのも思考の中だけにしかない発想なんです。

そもそも、時間だって思考の中にしかないものですからねー。
これもまた、何かしらの条件なしには存在し得ないものなんです。

捉えないは囚われない

ま、そんなわけで、状態というのもまたイメージなんですが、だからといって思考は状態を捉えようとすることをやめてはくれません。
思考はある種の状態を捉えなきゃ始まりませんからね。

なので、状態は幻想だとしても、思考の中から状態を取り去ろうとしてもうまくいかないんですねー。

僕らは何かを変えようとするときは、今までと違った角度で物事を捉えようとして、新しい捉え方を求めたりするわけですが、この話は捉え方の話じゃないんです。

むしろ捉えたものがフィルターとなって、あらゆる物事はそのフィルターの色に色付けされています。

なので、何かを捉えるのではなく、すでに捉えているものを手放してみるというお話なんです。

何にも捉えずにただ在ってみるということで、フィルターもまた手放されるんです。

そうなったとしても、思考ちゃんはずっと、何かを捉えないと何も始まらないよー!って言ってくるんですけどね。

始まりと終わりというのもまた、思考の中にだけある観念なんですよね。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!