Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟りを表す言葉がややこしい

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
たまーに、
非二元(ひにげん)のことを、非二次元(ひにじげん)と間違えている方がいて、
「非二次元について、教えて下さい!」
って言われると、どのタイミングで訂正しようか?とちょっと躊躇してしまうタクさんです。

非二次元(ひにじげん)だと、二次元に非(あら)ず。
という意味になりますからねぇ。

二次元って要するに、マンガとかアニメのような「絵」のことでしょう?
そりゃー僕らはアニメじゃないですからねぇ。

アニメじゃない!ホントのこーとさー!

ってなりますもんねぇ。

ま、そこは置いておいて、
やっぱりいろんな呼び方があるからややこしいんでしょうね。

今日はそんないろんな呼び方について僕の勝手な解釈を書いてみたいと思います。

 

なぜこういう言葉はややこしいのか?

非二元だとか、ワンネスだとか、全てだとか、私は在るだとか、存在しか無いだとか、
悟りだとか、目覚めだとか、ソレだとかコレだとか、
やたらといろんな呼び方があり、
そのどの言葉も、どう解釈すれば良いのかよくわからんかったりしますよね。

なぜ、よくわからない意味の言葉が次々と生産されてくるのか?
といいますと、
そもそも、言葉で表現できないものをあえて言葉であてはめているから。
ということになるんですよね〜。

そして、解釈じゃないものを表現しておりますので、
どう解釈したら良いのか?がよくわからない言葉になっているということでもあるんですよ。

別に誰かを煙に巻いてやろう!ということではありません。

ま、なので、そもそも解釈はないですし、解釈のなさを表現した言葉ではあるのですが、
そこをあえて独断の解釈をするとなると、、ということでやってみたいと思います。

非二元

まず、非二元。
これはわかりやすいですよね。
分離がない。ということを言っているわけです。
二元とは思考の中で行われる分離のことです。その分離がないから、この世の実相は二元に非(あら)ず。
すなわち、非二元。
というわけです。

ワンネス、全て

では次は、ワンネスと全て。
これも同じです。
分離がないということを言っているんです。だからひとつながりということになりますよね。
なのでワンネスなんです。全ては一つであるということですね。
この言葉の弱点としては、一つという言葉が数字だったり一体感を連想させるので、全部が密接につながったひとつである。みたいなイメージを掻き立てられやすいところですかね〜。
本来は、全てしか無いので、僕らが抱く「ひとつ」というイメージとも全然違うんですよね。
なので、全てとも言われているというわけです。

私は在る、存在しか無い

次、私は在ると存在しか無い。
これはね〜。イノチ、エネルギーという言葉とも関連するんですが、
ほら、僕らがずっと今ココに感じている、感覚というか、感覚以前のものってあると思うんですよ。
普段、「私」だと思っている感覚です。
この感覚がねー。いわゆる「在る」という感覚なんですよね。
「存在」もそうです。
そして、もうこれが全てなんですよ。
この感覚を、いろんな「私」という枠にはめ込んで、普段は思考の中でいろんな私を演じているんです。
この「私」というのは、普段はいろんな枠で区切られているんですけど、本来はそんな枠はないんですよね。
この枠が取り払われた時、存在が残るんです。あるのはこの存在だけなんですよね〜。
だから、「私は在る」だったり、「存在しか無い」と表現されているわけです。

悟り、目覚め

次は、悟りと目覚め。
悟りは、何かを知るということですね。ただここで知るのは、知識ではありません。
だから、きっとあえて悟りと表現されているわけです。
なにかの知識を知るのではなく、あらゆる物事の本質を知るということなので悟りなんです。
そして、知識ではないということは、もちろん思考で掴み取るものでは無いんです。
普段僕らは思考で掴み取ったものをストーリー仕立てにされたものをみていますよね。
その様は、まさに寝ている時に見る夢と同じようなものなんです。
夢は、それが夢だ!と知ることによって目覚めます。
同様に、思考もこれは思考だ!と知ることによって目覚めるんです。
だから、「目覚め」なんです。

ソレ、コレ

次は、ソレとコレ。
これはカンタンですね。
そもそも解釈がないものですからね〜。なるべく解釈が加わらない言葉として、
ソレやコレが当てはめられている。というわけです。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!