Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あるのはダイレクトな全て

はじめに

はーいどうも。
おはようございます。
先日、もうかれこれ2年以上住んでいる近所で迷子になりかけたタクさんです。

いやー。
迷子って面白いですよね。
見慣れたと思っていた風景がいきなり初めてになるんですもん。

初めての風景って、なんかちょっとイキイキするんですよね〜。

これが見慣れていくと、なんてことはない風景になるんです。

そういえば、もう上京して25年くらいになるんですけど、
最初は、
「うおー!これも東京っぽい!」
「あれも東京っぽい!」
「天気予報もなんか違う!」

って興奮したものですが、今や東京に何ら感情も動かないですもんね〜。
渋谷のあの交差点も、無感情で通り過ぎてます。

でもこの見慣れたっていうのも、実はウソなんですよね〜。

あらゆるものは、常に初めてなんです。

僕らは、頭の中で作ったいろんな分類の引き出しに、
勝手に割り振って、割り振った後はその分類としてモノをみちゃうんですよね。
そして、ちゃんとみた気になってるわけですが、
結局の所、ちゃんと真実をみているわけじゃなく、分類をみているわけです。

そこで僕らは、いわゆる「真実」を見失っているというわけなんです。

 

真実は逃げない

真実はどこにも逃げていなくて、ちゃんと今もそれだけをみているんですけどね。
変な話、ちゃんとみながら、見逃しているんです。

感覚としては見間違いにちょっと似ていますが、
だからといって、正しいものや正しい見方が他にあるというわけではないんです。

正しいも間違いもない中で、
「正しい」と思いこんでいる分類をみている。

って感じですかね〜。

だから見逃しちゃうということなんです。

全てしか無いから、ココも今も無いし有る

でも真実はどこにも逃げていませんし、
あるのはすべてだけですから、その中の1部にもなれませんし、
すべてから抜け出すこともできないわけです。

だから、正しい真実を探すということではないんです。

すでにココにある。

ココとアソコがあるわけじゃなく、全てがココなんです。
つまり、ココですらないんです。

今だけがあるんですが、その「今」はもう今ですらなくなり、
あらゆるすべてが在る。
ということなんです。

あるのはダイレクトな全て

アナタが全てで、全てがアナタであり、このアナタに境界はないんです。
境界がないから、アナタですら無いし、私ですら無いんです。

そもそも、境界なんてものはこの世にもあの世にも存在し得ないんですよねー。

だからもう、ダイレクトに全てなんです。

ダイレクトさとは、完全なる一致であり、即今、即時なんですよねー。
それが全てなんです。

もうね。
言葉で表現すると、めちゃくちゃややこしいですよね。

このややこしさは、シンプルすぎるがゆえに言葉が当てはめられないから、
そう見えちゃうんです。

探そうとしたり、わかろうとするとややこしく見えてしまうんです。

ま、そんなわけなので、探そうとするよりは探すのをやめる。
わかろうとするよりは、わかるのをやめる。

リラックスして、わからないままに在ってみるんです。

 

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