Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

苦悩の根源は自分ではなく、自己イメージにある

はじめに

ほい。
おはようございます。
熱でうなされているとき、
窓辺に賭けていたYシャツがオバケに見えてしまい、
「とうとうワシもオバケをみてしまった!」
と凍りついたことがあるタクさんです。

皆さんはオバケと仲良く暮らしておられますでしょうか?
ま、日本でもよく柳の木の揺れる影をお化けと見間違う!なんて話がありますもんねー。

これね。
まさに、実在を見ているんじゃなくて、頭の中のイメージを見て怖がっているということなんです。

この場合ね。
恐怖の根源は、オバケにあるんじゃなくて頭の中のイメージにあるんですよね。

このイメージが変わると恐怖は消えるんです。

「あ、よく見たら昨日かけたYシャツだわ!」
って気づくと、オバケは一瞬で消え失せるんです。

これは、オバケだったイメージがYシャツに変わったことで、オバケが消えたってことなんですねー。

 

自分を変えなきゃいけないという錯覚

さて、僕らって苦悩に直面している時って、どうしたら良いのか?がわからないってことが多いと思います。
この「どうしたらいいのか?」には、
自分はどのように変われば良いのか?というのが含まれている場合って多いと思うんです。

僕らは、苦悩について、自分を変えること。自分を進化させることで乗り越えようって考えるんですね〜。

で、そこがわからない場合、もしくは不可能だと思っている場合に苦悩のるつぼに巻き込まれていくわけです。

そして、この自分を変えなければならないの奥には、今の自分ではダメだ!という思いも当然あるわけで、この自分はダメだ!という言葉もまた、自分に突き刺さることによって苦しむわけなんです。

イメージはオバケと一緒

もちろんのことながら、この「自分」というのはイメージなんですよね。

ということはですよ。
僕らは、自分のことについて悩んでいる。苦悩している。と思い込んでいるわけですが、それは違うってことになるんです。

つまり自分のことで悩んでいるというよりは、「自分というイメージ」について苦悩し、悩んでいるということになります。

これもねー。柳の影のオバケと一緒なんです。
イメージなんです。

イメージをオバケだ!として怖がっているのと「自分というイメージ」について苦悩しているのも同じなんですよねー。

自己イメージ

「自分というイメージ」とは「自己イメージ」ですよね。
そして、僕らはこの「自己イメージ」について悩んでいるというわけです。

「自分のこと」と「自己イメージ」は、全く別物ですからね。
この別物を一緒だと錯覚することで悩んでいるといっても過言ではないんです。

つまり、苦悩を解消するには自分を変えるんじゃなく、自己イメージを変えること。
これが先決なんですよね〜。

まあ、そう聞くと、自己イメージを変えるのって難しいんですけど〜。
って感じるかもしれませんけどね。

イメージは車窓の景色のようにやってくるものですからね。
気に食わない自己イメージについてはそのまま過ぎ去るままにしておけば良いんです。
回転寿司だって、食べたくないものはスルーするじゃないですか。
あれと一緒です。

回ってくるものの中から、気に入ったものだけ美味しく頂けばいいんです。

ま、あとは、それほど「自己イメージ」を気にしなくても良いんです。
なぜなら、これってオバケと同じですのでね。
正確性にはかなりの疑問があるものなんです。
なので、気にするほどのものでもないんですよね〜。

なので、好きなイメージだけ美味しく頂きつつ、イメージはあまり気にせずに過ぎ去るままにしておく。
という感じで良いんです。

 

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