【はじめに】
はい。
どうもおはようございやすっ!
タクさんです。
みなさん。
お暑い中、いかがお過ごしでございましょうか?
僕はほぼインドア派のくせに、しっかり日焼けをしているようです。
いやー、ちょっとだけ日中歩くだけでもすぐに日焼けしちゃうんですよね。
どうせなら真っ黒になりたいけど、日焼けはお肌にはよろしくないということですので、やめておきます。
さてさて、
僕らを悩ますのも喜ばせるのも、頭の中のおしゃべりの内容なんですよね。
悩みや苦悩が多い人は、頭の中のおしゃべり、すなわちストーリーの中の自分が、
あまりイケてないという設定になっていたりします。
逆に、ストーリーの中の自分が「すげえやつ!」設定になってる方は、
あまり悩んだり苦悩したりしません。
人に、「お前では無理だよ!」
とか言われても、
「やれやれ、まだまだ俺のことをわかってないようだな。」
って流せちゃったりしますからね〜。
ま、頭の中のおしゃべりがどんなストーリーを紡ごうとも、
別にそれはそれで良いんですけどね。
ただ僕らは、このおしゃべりに対してちょっとした勘違いをしているんです。
今日はそんな頭の中のおしゃべりに対する勘違いについて書いてみたいと思います。
【頭の中のおしゃべりは好きに喋らせておけばいい】
僕らってねー、
この頭の中のおしゃべりをちゃんと聞かなきゃならないって思いすぎなんですよね。
もう頭の中のおしゃべりはしっかりと聞くもの!というふうに刷り込まれているんです。
嫌な話なら聴かなきゃ良いだけなんですけどね。
絶対に聞かなければならないっ!って思い込んでしまってるんですよね〜。
それでいて、この頭の中のおしゃべりをなんとか良い物語に変えられないものか?
ポジティブなおしゃべりになってくれないものか?
と、探究したりしてるんです。
別に、頭の中のおしゃべりですからねぇ。
どんな話であったとしても、関係ないんですけどね。
でも僕らはそれをついつい聞いちゃうし、それを真実だと思いこんじゃうんですよね。
それはまるで、テレビの中のキン肉マンが実在する!と思いこんでいるようなものなんです。
【おしゃべりはリアル化する】
そんな頭の中のおしゃべりですが、こいつがもう映画の比にならないくらい自分にとって興味深いところを突いて来るんですよねー。
そこはとっても上手なんです。
なんせ自分ですからね。
世界で一番、自分が興味を持つツボをおさえておるんです。
だからねー。
ついつい聴き込んじゃうんですよね。
でね。こいつを聴き込んでいると
今度は映像も加わってくるんです。
ラジオからテレビに進化するかのごとく、イメージ付きの物語になってくるんです。
すると、頭の中のおしゃべりはより興味を惹くコンテンツになってくるんです。
そして今度はイメージだけじゃなく体の感覚もハックしてくるんですよ。
体の感覚に声にイメージ。
もうこうなってくると、現実です。
VRなんか比じゃありませんよ。
VRは3Dに見えるだけですが、こちらの方は体の感覚が伴ってますからねぇ。
嫌なストーリーだと、本当に胃がキリキリしてきたり、胸が苦しくなったりするわけです。
まさにそんな仮想現実に興味を寄せるうちに僕らはそれを真実と錯覚しはじめるんですよねー。
で、真実だと錯覚するからこそ、また、頭の中のおしゃべりには耳を貸すべきだ。
ってなっちゃってるんですねー。
【静寂に在ってみるということ】
これはホント〜に単なる物語。ストーリーですからねー。
頭の中のおしゃべりって、思いっきりスルーしてやっても問題ないんですよね。
最初は、まだ真実だという思いと、しっかりと手綱を握って置かなければならないという錯覚があるので、なかなかこのおしゃべりを放おっておくというのは、難しく感じるかも知れません。
また、常に頭の中のおしゃべりが起こってるのに慣れすぎて、頭の中がシーンとしずかになると、どうしても落ち着かない感じがあるかも知れません。
また、シーンとしずかにしていると、何も前に進めないような錯覚にも陥ったりするんですよね。
そしてまた、頭の中をおしゃべりで埋めちゃったりするんです。
だから最初は、このしずかさに慣れる練習もありかも知れません。
いわゆる静寂にただあってみるということです。
静寂とは、実際の外の音とは関係ありません。
どんなに外が喧騒であっても、頭の中のおしゃべりが無くなっていたら、そこはもう静寂そのものなんです。
その静寂にあってみることで、本当のリアルはココだったことを知るんです。
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