Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

一寸先は光である。それを闇と為すのは無用な思考である。

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ジョジョの中での好きなセリフは

「君は今まで食べたパンの枚数を覚えているのか?」
です。

これは、
「お前は今まで何人の命を吸い取ったんだ!」
的な質問に対するディオの答えです。

ヒョエー!怖いっす!怖いっすー!

さて。
ま、みなさんも今まで食べたパンの枚数なんてものは覚えておりませんよね。
僕なんかは、最近、2日前に食べたものさえ思い出すのが困難になりつつあります。

みなさんは、覚えておられますか?

 

人生のほとんどはスルーされている

さて、みなさん、さまざまな人生を歩んでおられることだと思いますが、この「私の人生」というものも、結局のところ自分が覚えている範囲の出来事を組み合わせたストーリーですよね。
ですが、僕らは、先週の木曜日の午後15時に何をしていた?
とか、
先月の10日の午前11時にどんなことをした?
なんてことは、あまり覚えていないものです。

詰まるところ、「私の人生」だと思っているストーリーって、実際の人生ではなく、その中のほんのひとつまみを組み合わせたものに過ぎないんです。
それ以外の99%以上の人生はスルーされているとも言えます。

結局、私の人生というのは、極々ほんの一部を自分の都合でつまみ上げたものに過ぎないんですよねー。

そこで、いいものばかりをつまみ上げれば、いい人生になりますし、嫌なものばかりをつまみ上げれば悪い人生になるってわけですが、
そもそもこの「私の人生」というストーリーは、正確さとはかけ離れてると言えるのかも知れませんね。

今を味わう

ま、そんな人生なんですが、僕らを常に自分の悪い人生について悩んじゃったりするわけです。

でもこれもねー。
99%の出来事は無視しておいて、嫌な部分だけをかき集め、そこに対して思い悩んでいると言えます。

だったらねぇ。
他の99%と同じように、スルーしちゃえばいいんです。
だって、すでに僕らは人生の大半をスルーしちゃっているんですもん。

また、あれこれと過去を思い悩む間は、今も置き去りになってしまっております。

今をスルーするよりは、もう有りもしない過去をスルーしちゃった方が良いんです。

一寸先は光である。それを闇と為すのは無用な思考である。

「いやー。私は過去に思い悩んでいると言うよりは将来を思い悩んでいるんですよー。」
って方もおられるかも知れません。

ですが、この将来というのも過去と同様なんです。
過去も未来も「今ここ」には存在しておりませんのでね。

有りもしない空想のストーリーに思い悩んでるというのと同様なんです。

もちろんこれは、将来のための準備を否定するものではありません。
できることがあればやればいいし、やる気が起きないなら休めばいいんです。

将来が心配だ!という思いも湧いてくるかも知れませんが、今できることはそんなに沢山はありませんからね。
それ以外のことは、その時の自分にお任せすればいいんです。

そもそもね。
一寸先は光なんです。それを闇となすのは無用な思考なんです。

ですのでね。
無用な思いの奴隷にならなくても良いんです。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!