Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

記憶を参照しなければ、残るのは「今」だけ

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
記憶力がダメダメなタクさんです。

皆さんは記憶は得意ですか?

僕はね~。
昔から全然ダメなんですよ。
だから、学校の成績は散々でした。
学校の勉強ってね。なんか記憶ベースになってるものが多いですよね。
ちょっとあれってズルいと思うんですよ。

もっとねぇ。
記憶を頼りにせず、発想とかを問われるテストがあったら、
もうちょっとは成績がマシだったような気がするんですが、、、。

ともかく漢字とかも全然ダメダメでしたので、今でも苦手です。

 

思考と記憶

さて、そんな記憶ちゃんなんですが、それを呼び起こすのは思考ちゃんなんですよね〜。
僕らは思考をするときに記憶を呼び起こします。

思考ちゃんはストーリーを作る際に、いろんなパーツが必要なんですよね。
どんな物語にも、その舞台設定や登場人物があったりするでしょう?
それらのパーツを寄せ集め、そこに過去の出来事というストーリーを付け足して、
あれこれと物語を展開するわけです。

あんな事があった。
これはあって良いことではない。
ともかく、この先どうなるだろう?
きっとこういうことになる。

ってな感じでね。

それらのパーツはすべて記憶の中にあります。

なので、思考ちゃんはストーリーを組み立てる際は、まず記憶あさりから始めるんですよね〜。

思考は記憶で出来ている

思考は記憶のパーツを呼び起こし、そのパーツを組み立ててストーリー作りをする。
これはね。
言い換えると、思考は記憶で出来ている。といっても良いかもしれません。

記憶というのは、過去ですよね。
しかもその過去というのは、正確な過去ではありません。

どんな記憶も、すべて自分本位で判別された過去なんです。

だから、人によっては同じ過去の出来事でもストーリーは全然違ったりするんです。
これも捉え方によって違ってくるからなんですね〜。

また、出来事のすべてを僕らは覚えているわけじゃありませんからね。
このときどこどこに行ったよね〜。たしかその時は雨が降っていて、気温は低くて肌寒く、風も強かったし、何故か木々に小鳥が沢山集まってきていて、鳴き声もすごかったんだよ。

ってね。
沢山のパーツを覚えているパターンもあれば、どこに行ったのか?だけを覚えているパターンもあるわけです。

すると、作られるパーツもまた違ってくるというわけです。

記憶は正確ではない

記憶は捉え方によって変わってくるということはですよ。
この記憶には正確性は無いということなんです。

僕らは自分の捉え方が間違っているなんて思ってもみませんから、
自分の記憶が間違っているなんて全く思っていないんですけどね。

ですが、どんな記憶であれ、そこに正確性は無いということなんです。

そんな記憶から作られたストーリーは、もっと正確性なんて無いということになりますよね。

だから、頭の中で紡がれるストーリーは、正確ではなくまさに夢のようなものなんです。

今に在る

ストーリーは、形としてあるものではなく、働きとして起こっているものです。
だから、そいつを止めてやれば、今ココに戻ってこれるんです。

僕らは常に頭の中のストーリーばっかりに夢中になっていますから、
その間はずっと「今」は見逃されっぱなしなんです。

そんな思考ちゃんのストーリーから離れる一つの手段としてね。

記憶を参照しないというのがあります。

ストーリーは記憶で作られていますからね。
その記憶を参照するのをやめれば、ストーリーは勝手に消えていくという寸法です。

では、どうしたら良いのか?と言いますとね。

記憶を参照している。
つまりは、何かを思い出しているということに気づけば良いんです。

気づいたなら、すかさずそれをやめるんです。

パンッと手を叩いてみても良いかもしれません。
すると、ストーリーは止まります。

あとは、ココに残った全て。つまり「今」にただただ在ってみれば良いんです。

 

takuteto.hatenablog.com