Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考のストーリー、行間だけを読んでみよう

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

皆さんは最近、本を読んでおられますでしょうか?

どうにも、最近は文字を読むのが億劫になってる人が多いんだそうですね。

なのでみんな動画の方に流れてくるんだそうで。。。

まー、たしかにね〜。
メディアの変遷なんかを見ていても、
新聞からラジオ、そしてテレビと移り変わり、
ネットの方も最初は文字だけのパソコン通信から始まり、
ブログというものがヒットしだして、
今はYouTubeという動画になってきています。

更には、長時間動画を見るのもダルい!ということで、
Tik Tokになってきてますもんね〜。

ちなみに、おっさんの僕はちょっとTik Tokにはハマれませんでした。
あんなの、何が面白いんだろう??って感じです。

ただこれ、
逆に言うと、得られる情報の精度としては、
やっぱり文字媒体のほうが多いと思うんですよね〜。

例えば、調べ物をしていても、
YouTube動画よりも文字のほうがすぐに沢山の情報を得られるように思います。

また、動画にされている情報よりも、文字の情報のほうが圧倒的に多いですからね〜。

そういう意味では、今こそ安易に動画に流されるのではなく、
文字情報を読んだほうが良いぞ〜!

ってことになるんじゃなかろうか?
なんて思います。

というわけで、今後ともこのブログもどうぞよろしくおねがいします。

 

行間を読む

さて、そんな本なんですが、行間を読むなんて表現があるじゃないですか。
これねぇ。
僕は最初、この言葉を聞いたとき意味がよくわからなかったんですが、
物語のストーリーだけを読むのではなく、作者の意図を探りとれ!ってことなんですね。

つまり、物語はストーリーだけで出来ているわけではない。その背後には何かしらの意図が隠れているというわけでございます。

こうやって行間を読んでみると俄然歴史書っていうのも面白くなりますし、各国の神話も面白いんですよね〜。

そしてこれは、
僕らのストーリーでも一緒なんです。

頭の中で紡がれるいろんなストーリーが僕らにもあるじゃないですか。
このストーリーはまさに幻想のようなものなんですが、ストーリーだけじゃなくその背後に、なにかしらの判断なり意図が存在しているんですよね〜。

この判断と意図は、反応とも言えるかもしれません

リズムは無音によって成り立っている

音楽でも、その背後にある空白があることでリズムが成り立ちます。
音楽を作っているのは、音だけではなく、その背後の無音があって成り立っているわけです。

同様にストーリーもこの行間があって成り立っているわけですね〜。

でね。
この行間を読むなんですが、行間だけを読んでみたらどうなるでしょう?

そりゃ、もちろん一気にストーリーが消えてなくなりますよね。

同様に、頭の中から一切の言葉を追い出してみる。
そこでストーリーを追い出してみて、見えてくるものがあるんです。

行間だけを読んでみる

言葉って結局の所、文字でしか無いじゃないですか。

例えば「白」っていう文字を書いたとしても、これ、本当の白を表せてはいませんよね。
分類としてただ割り当てられた言葉に過ぎません。

「人間」と書いてみたとしても、「男」と「女」と書いてみても、いずれにしても僕ら自身を表すことはできませんもんね。

文字というのは、何かを分類するための記号に過ぎないわけです。

記号には意味が付与されているわけですが、この記号とそこに付与された意味。
これがフィルターとなっているんです。

そして、このフィルターを通した世界をみるということ。
これが架空の色付けをされた世界だというわけなんです。

このフィルターを取っ払ったとき、ダイレクトな全てが蘇るんです。

赤ん坊はこんなフィルターを通して世界を見ていませんよね。
他の動物だってそうです。いちいち目の前のものを別のフィルターを通して見たりはしていません。

僕らも、反射的に言葉のフィルターを見たものにつけていますけど、付ける前のほんの一瞬の間は、ダイレクトな世界を常に感じているんです。

この一瞬の空白こそ、僕らのストーリーの行間にあたるんです。

 

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