Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らが常に見落としていた「コレ」

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
中学生の頃はギター少年だったタクさんです。

ちなみにね。
高校になってから本格的なバンドブームがやってきまして、
僕もバンドマンデビューをしたわけですが、
友達のほうがギターが上手でしてねぇ。
僕はベース担当になってしまったんですよね。

今は、ベースってめちゃんこカッコいい!って思ってるんですが、
当時はあまり目立たないので嫌だな〜って思っていたのを覚えています。

その時まで、音楽を聞いていてもベースの音ってあまり入ってこなかったんですよね。

ですが、いざベースを始めてみると、
曲の中のベースの音が、ものすごくよく聞こえるようになりました。
そして、
「おお!ベースってかっこいい!!」
と思うようになったんです。

ちなみに好きなベーシストはTaijiです。

皆さんは、なに少年、なに少女でしたでしょうか?

 

私は何を見逃しているの?

さて、
あらゆるものは分離がなく、全ては一体でひとつながりで、
私という個別の存在もなく、あらゆるものは起こっていて起こっていない。
ってねー。言われてたり、僕も言ったりしていますが、

もうねぇ。

そんな事言われたら、なにか今見ている世界とは別世界が、
この世のどこかにあるのだろうか?

それはどうやれば見れるのか?
それはどうやれば聞こえるのだろうか?

なーんてね。

そんな気持ちになったりもしますよね。

私が知らない。
私がわからない何かが、どこかにあるのだろう。

ってね〜。

求めていた別世界はどこにある?

でも、こういったことを説くメッセンジャーたちは、
こぞって、
それはすでに在るものであり、
それはすでに知っていることであり、
それは思い出すことであり、
それは今ここのことであり、
あなたは、すでにそれであり、
それに目をそむけているだけだ。

って言うんですよね。

「いやいや、知らんし、思い出されへんし、目もそむけてないって!」

って言いたくなったりしますよね〜。

だからこそ、やはりいま自分が認識しているものとは違う別の世界があるはずだ。
って思っちゃうのも無理はありません。

だって、スピーカーさんによっては、この「コレ」の視点からみるとこうだ!
みたいな言い方をしたりもしますもん。

なので、それを探す旅となり、それが探求となるわけなんです。

僕らが常に見落としていた「コレ」

いわゆる僕らが現実と言っている世界と、コレとは全くの別世界。
別次元のように感じたりもしますが、実はこれらは同じ世界なんです。

ですが、僕らが現実と言っている世界観もやっぱり色々とありますよね。
音に例えると、いろんな音色があるのと同様でね。

よくよく耳をすましてみると、今までは聞こえていなかった音色を発見したりして。
すると、世界はもっと広がっていきます。

でね。
そんな様々な音色があるわけですが、僕らがどうしても聞き逃しちゃう音色っていうのが在るんですよ。
でも、それがあってこそ、すべての音色が成り立っているんです。

このそれっていうのがね。
無音なんです。

この無音があって、はじめてありとあらゆる音色が生きるわけですからね。

音色ばかり聞いていると、この無音もまた音である。メロディーであることがわかんなくなっちゃいますが、楽譜なんか見てても、この無音こそが、メロディの拍子を支配しているわけですもんね。

この無音こそ、僕らが常に見落としていた「コレ」なんです。

無音のスペースがあるからこそ、メロディはそのスペースの中で奏でられていたわけなんです。

 

よかったら、無音についてじっくり語り合いましょう。↓

takuteto.hatenablog.com