Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らは悩みについてくる演出に騙されているのかもしれないよ

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

バファリンの半分は、やさしさでできている。

ってねー。
うそつけっ!って話なんですが、
まーあれは、バファリンの中に胃腸薬的なものが入ってるよ!
という意味なんだそうです。

ただねぇ。
その胃腸薬成分は、半分じゃなくて1/3の量なんだそうです。

やっぱり嘘やないかー!
ってね。

すいません。
どうでもいい小話でした。

さてさて。
バファリンの半分がやさしさなんだとしたら、
僕らの悩みにも実は嘘が紛れ込んでいるんですよね。

嘘というと語弊があるかもしれませんね。
演出が含まれているんです。

しかもねぇ。
この演出は、悩みの中の大半を締めている場合が結構あるんですよね〜。

そして、この演出のせいで、悩みは不安に発展し、その不安がドンドンと膨らみ続けてしまうっていうね。

そんなカラクリについて書いてみたいと思います。

 

悩みにつきまとう演出

悩みに演出が含まれている??
ってねぇ。
そんな演出、いらないですよね。

しかもその演出は、単なる悩みを不安に変え、さらにはその不安を膨らまし、
そして挙句の果てには、自分を不当に傷つけてくるんです。

それはひどい!
なんてもんじゃありませんよね〜。

ま、だからこそ僕は常々、ちゃんと自分をかわいがってあげましょうね〜。
って言ってるんですけどね。

ぼくらは、それほど器用じゃないので、可愛がりながらいじめるっていうことが出来ません。
だから自分を不当にいじめている時には、一旦可愛がってあげると収まったりするんです。

不安の増幅

では、どのように悩みが不安に、そして、不安が自分を傷つけるに変化していくのかといいますと、
悩みに対しても、だいたい最初は目の前の何かについて悩み出すんです。

あー、これどうしよう。ちょっと困ったなぁ〜。

ってな感じでね。
この段階なら、やれることはやって、出来ないことはやらない。
他にアイデアが出てくるのかどうかは、お任せしておく。

もうこれでいいんですよ。
シンプルですよね。
それで、さっさと次にイケるわけなんです。

ついつい僕らは、元々は目の前の悩みだけだったはずなのに、
ここからドンドンと抽象的なものを付け足していくんですよね。

あ~困った。
あのときこうしていればよかった〜。
このままだと、この先も不安だ〜。

ってな感じでね。
不安を増幅していくんです。

自分を傷つける幻想

そしてね。
不安が増幅していくと今度は、

なぜ自分はいつもこうなんだろう〜。
なんで、自分はこんなにダメなんだろう〜。

ってな感じでね。
今度は自分攻撃に入っていくんですよ。

そして、さらには、
なんで自分は生まれてきたのか?
何のために自分は生きているのか?

みたいなね。
壮大な抽象ストーリーへと移り変わっていったりするんですよね。
そうして、僕らの苦悩というものがはじまるわけです。

抽象ストーリーはすべて演出

この抽象ストーリーはいわば蛇足のようなものなんです。
そして、僕らの不安や悩みの大半はその蛇足の部分にあるんです。

この蛇足の部分こそ演出の部分であって、いわば幻想のようなものなんです。

でもココまで悩みが進んでしまうと僕らは、この幻想の部分をなんとかしなきゃならないってね。
そんな錯覚をしちゃうんですよ。

でもこれは幻想なのでね。どうにかできるものじゃないんですよ。
なんとかしようとしても、どうしようもないんです。
だって幻想だもん。

「あのとき、あんなことをしてしまった自分を変えたい!」
「自分のこういう部分を変えたい!」
ってな感じで、幻想はどうしようもないことを言ってくるんです。

そんなの変えなくてもいいし、変える必要すらないものなんです。
ただ、この幻想の出発点が、「自分はダメだ!なにかが足りない」から来ているので、
なんとかしなきゃならないもののように錯覚してしまっているだけなんです。

そんな蛇足は相手にせず、それよりも今、目の前のことをだけを淡々とやればいいだけなんです。

だからね。今できることだけやればいいし、それ以上考えなくても良いんですよね。

これが、お任せしておけばいいよ!ってことなんです。
幻想は相手にされないと勝手に消えていきますし、幻想を幻想として見抜くことが、
あるがままにみるってことなんです。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!