Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考は実況のようなもの

はじめに

はいどうも!
おはようございます。
子供の頃はがっつりキン肉マンにハマりまくった、
キン肉マン世代のタクさんです。

まあ、あれ、
今になって思うんですが、
オリンピックも戦争も、何もかもをプロレスで決着をつける!
という世界観なんですよねー。

悪魔が侵略してきても、結局は正義チームと悪チームとのプロレス決戦ですし、王位継承を争うのも、これまたトーナメント式のプロレスバトルだし、神々の戦いもまたプロレス対決っていうね。

これって、まさに世界平和の答えみたいなもんですよね。

紛争も戦争も政治的な対立も、
どう話し合っても決着がつかないなら、プロレスで対決だ!

ってね。

そうなったら、この世はとっても平和になるんじゃなかろうか?

なーんて思ったりしました。

もっといいのは、お笑い対決なんですけどねー。

 

実況ってちょっと邪魔

さて、
このキン肉マンという漫画なんですが、
試合中の描写は、常に実況が入るんですよ。

「おーっとこれは立てないかー?」
「いや、立った!まだまだ戦いは続きそうですー!!」

みたいな感じでね。

ま、実際のプロレスやボクシングなんかも
テレビで見てたらそうですよね。

僕、テレビやネット中継では、この実況の有無を選択できたらいいのになーって思うんですよねー。
特にボクシングでは強くそう思います。

あれ、実況なしで見るのと、アリで見るのとでは全然イメージが違うんですよ。

なんかねぇ。
日本選手をひいきする実況なんかを見てると、日本人ボクサーが勝ってる印象を植え付けられたりするんですが、実況なしだと全然違うじゃん!って感じたりするんですよ。

また、パンチの音とかそういうのも聞こえてくると、
すごく迫力もあったりするんですよ。

思考は後付けの実況である

ま、これは実況の声がうるさいので、
なんか見てるものが歪まされるってことなんですよねー。

「キョーレツなボディーが決まったーーーー!」
とか言ってても、相手ちゃんとガードしとるやん。

ってこともホントよくありますからねぇ。

ちなみに、この実況。
当たり前のことですが、実際に戦ってるわけじゃありませんよね。

後付けてあれこれと言っているだけです。
だから実況者によっては全然違ったものになるわけです。

これはね。
思考についても同じことなんですよね。

思考というのは、実況のようなものなんです。
この実況というのは、事実であるように見えて全然違うものなんです。

この実況を無二の真実だと思い込んじゃうこと。
これが錯覚の原点にあるということなんですねー。

全てはダイレクトであって全部しかない

この話はちゃんと真実をみましょう。という話に尽きるんですよね。
それは、実況の話を聞いて分析することではないんです。

そもそも真実なんだから、みるも分析もないんです。
だって、みたままですからねー。

これを分析しようと、あれこれと脳内でやるじゃないですか。

空を見て、青空だ!あれは雲だ!みたいなね。

そもそも空を見ているんじゃなくて、ただ見ているだけですもんねー。

見えるもの、感触や匂いや触覚に味。
これらに実況を加えずに感じてみると、
生の感覚の中に入っていけるんです。

ここに、主体と客体の壁はありません。
匂いの元とそれを嗅ぐものとの分離も弾け飛ぶんです。

これが、全てはダイレクトであって、全部しかなーい。
っていうことなんです。

 

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