Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「私感覚」の正体

はじめに

はい。
どうもタクさんです。

風魔の小次郎に出てくるキャラの中でのお気に入りは
「霧風(きりかぜ)」です。

霧風の必殺技は、風魔霧幻陣(ふうまむげんじん)です。

この技は、霧を自在に操り、幻覚を見せる技です。
かっこいいです。ツヨイです。

というわけで、おはようございます。

皆さんの風魔の小次郎お気に入りキャラは誰でしょうか?
やっぱり竜魔(りょうま)でしょうか?
それとも、飛鳥武蔵(あすかむさし)でしょうか?

ま、知らんわい!って方が大半なんでしょうねー。
どうもすいません。

さてさて、マニアックなお話は置いておいて、
今日は、私感覚がみせる幻覚についてお話をしてみたいと思います。

私感覚もねぇ。霧風のように幻覚に似た技を使ってくるんですよね。
僕らは、その技によってまんまと幻覚をみせられておるのかもしれないんです。

 

私はいるよ!今ここに!

ま、皆さん、生きてると色々とあるじゃないですか。
やなことだって、不安なことだってあるかと思います。

でね。いわゆる「私はいない」という言葉を聞いたらね。

「私はいないんだから、色々と起こっている嫌なことからも解放されるはずだ!
だって、それらは私には起こってないんだから!」

って思ったりするかもしれません。

そして、
「では、どうしたら私はいないになれるのか?」
「それは、この「私」を手放せばいいんだ!」

って感じたりする方もおられるかもしれませんねー。

そして、スコーンと思考が抜けた時!

「あ、さっきの瞬間は確かに「私」はいなかったぞ!」
「よし!次はこの瞬間を常なる状態になるようにすればいいんだ!」

って感じちゃったりするパターンもあるかもしれませんねー。

でね。
そうやって、うまくいくときもあるんですが、
いつしか、何か嫌なことに直面したりしてねー。

それは、ものすごーいカードの支払い請求書を見た時だったり、
SNSで自分とは別世界のキラキラ世界をみせられた時だったり、
また、嫌な人と直面した時かもしれませんが、

そんな時にどっぷりと嫌な感じを浴びてしまって、
くはー!うまくいってた「私がいない」が一瞬で戻ってきてしまったー!

なんて感じている方もおられるかも知れません。

何が「私」では無いのか?

まあ、どう足掻いてもねぇ。
絶対にこの「私感覚」っていうのは、ついてまわりますもんねー。

この感覚がある限り、どう分析しても、この感覚って「私」以外の何者でもありませんもんね。

まあでもね。
100歩譲って、この「私感覚」は私だとしても、じゃあ、何が私では無いのか?
ということは、みてみることは出来るかもしれません。

例えばね。
身体は、私感覚とは別物ですよね?
むしろ、身体の面倒を見ているのが「私」ですもんね。

怪我をしたら絆創膏を貼らなきゃ!って思うだろうし、
あー、最近不摂生が続いてるから自重しなきゃー!ってやってるのも私ですもんね。

では、そうやって、色々と体の面倒を見ようとしている思考が私なんでしょうか?
これもねぇ。
よくよく観察してみると、違うんですよね。
だって、あ、こんなこと考えてる。もっとこういう考え方しなきゃ!ってね。
どんな思考が起こっているかに気づくことができますもんねぇ。

これに気づいている「私感覚」がある限り、思考は私ではありません。

では、感情はどうでしょう?

これもね。
思考同様に、気づいてますよね。

ぶわ〜って泣いていても、この悲しさなり寂しさなり、やるせなさなり感動なりに、気づいていますもんね。

気づいている者が私なんだとしたら、この感情は「私」ではありませんもんねー。

「私感覚」の正体

そうやって、普段、私だと思っていたものを観ていくと、
どれも観ることができてしまう。
そして気づいているわけです。

そうしますとねー。
どれも「私」ではないことが明らかになってくるはずです。

でも、依然として「私感覚」はここに在るんですよねー。

そして、いろんな気づきの中で、1番身近に感じるものにこの私感覚をくっつけていただけ。ということを知るんです。

ですが、この「私感覚」の本体はどこにも無いんです。

つまり、在るけど無いもの。これが「私」だというわけです。

「えー!でもそんなのちょっと納得できんよー!」
って思うかもしれません。

でもね。
これは○○であり、これは△△である。
みたいなね。

そういう当てはめ自体が、そもそも間違っている。
というか、それが単に幻想のようなものを作っているだけっていうことなのだとすれば、
この「私感覚」は、私ですらなく、感覚でもなく、
名もない「それ」であることに目覚めるんです。

解釈を加えようとする際に、この「それ」がいろんな「私」に化けているだけだったんです。

 

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