Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

過去よりも未来よりも「今」を信頼してみる

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【はじめに】

ほい。
おはようございます。

最近、外をちょっと歩くだけで汗だくになるタクさんです。
みなさんご機嫌いかがでしょうか?

一応ね。
Tシャツなどの下にもう1枚着てるんですが、
ちょっと歩くだけでビチョビチョになるんですよ。
汗をかきすぎて。

だから、かえのシャツを持ち歩いてたりするわけですが、
こんなに汗をかくかねーってくらいかくのは、
もうこれ、運動不足だということなんでしょうかねぇ?

みなさんはどのような汗かきライフをお過ごしでしょうか?
熱中症には気をつけてくださいね。

 

【過去、未来、今の中で一番信頼できるもの】

さてさて、
過去と今と未来。
この中で一番信頼に足るもの。
それはなにか?といいますと、
やっぱりそれは「今」だと思うんですよね。

僕らが思い出す過去。
これは「今」の都合に由来します。

つまりどういうことかというと、
僕らが一定の過去を思い出すときって、そのフックは「今」にあるというわけですね。

今の気分によって参照する過去が変わってくるということです。
気分が悪ければ悪い過去を探し出してきて、
あんな事があったから、今こんな気分にさせられてるんだ。
みたいなね。
とにかく、よくわからない「今」の答えを過去に求めるわけですね。

ただ、求められる過去は、単に今の状態を説明するためにでっち上げられるようなものであって、そこに完全な正確性があるのか?というと結構疑わしかったりもするんです。

【未来は過去と一緒】

では未来は信頼できるか?
というと、これは過去以上にいい加減です。

そもそも僕らが未来だと呼んでいるものは、過去からの類推でしかありません。

だから未来を語ってるようで、語ってるのは過去なんですよね。
つまり、未来とは過去と同じなんです。
そして、過去も未来も今ココにあるものではなく、イメージやストーリーの類なんですよね。

【今こそが一番信頼できる】

ということはですよ。
やっぱり、過去と未来と今。
この中で一番信頼に足るもの。
それは「今」だと思うんですよ。

今こそが一番信頼できる。というわけです。

もちろん、過去分析が必要なことはあるでしょうが、それはあくまでも二番手でしてね。
主役は今なんです。

でも僕らはこの今を過去に照らし合わせて判断し、
過去のものに作り変えちゃうんですよね。

ではなぜそうやって作り変えちゃうのか?
というと、そうやって作り変えること。これが思考の働きそのものだからなんです。

【作り変えられた「今」真実と錯覚】

僕らはね。
もともとは思考を通して世界を作り変えてはおりませんでした。
赤ん坊の頃はダイレクトにみていたんですよね。
ですが、あれこれと思考で判断するテクニックを学ぶうちに、
思考を通して観る世界こそを正しいとする。
というね。
これもまた一つの思考であり概念なんですけど、そんな概念を強く持っちゃったんですよね。

これはすなわち、思考の中のイメージこそ真実であるという観念です。

そして常に、今をどのように解釈すれば良いのか?
どの考え方こそが正しいのか?ということにこだわりすぎるようになっちゃったんです。
だから、思考を置いておくなんてことは、とても不安定だと錯覚するようになってしまっているんですよね〜。

それはすなわち、今よりも過去こそが正しいと錯覚してしまうことでもあるんです。
そして、思考を通さずにただ「今」にあることを怖がるようになっちゃってたりするんです。

だた、そのまんまに在ってみるということ。
これはこのブログでもよく書いていることですが、
それは、思考を頼らずに、ただ、今に在ってみるということです。
この安心感をまずは感じてみることで、今にあることは安心であるということをちょっと試してみましょうよ。
というお誘いなんです。

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