Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

マインドの支配力

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんは支配されるのは好きですかー?

ま、そう聞かれて、
「好きどえーっす!」
って答える方はあまりいないんじゃないかな?
って思います。

誰でも支配されるのは嫌ですもんね。

まーでも、
支配っていうのは、
実は楽な面もあったりするのが、ちょっと厄介でして、
僕らは知らないうちに支配されている。
ってこともあったりするんですけどね。

さて、そんな支配ですが、
僕らを1番支配しているもの。
それが何を隠そう「私」なんです。

僕らが、生きづらさを感じたりするのも、
この「私」に支配されているからこそなんです。

私は自由になりたいのに、その私が自身から自由を奪っている。
っていうねー。

これってなんだか皮肉ですよね。

 

「私」の正体

さて、この「私」とは一体何者なのか?
と言いますとね。

こいつの正体はマインドなんです。

マインドとは心ですね。

そして、心とは思考そのものでもあります。

また、思考とは何か?と言いますと、
これはストーリーです。

つまり「私」の正体は、心(マインド)であり、思考(ストーリー)である。
ということです。

ここでいう思考には記憶も含まれます。
思考は記憶と一緒に働きますからね。

記憶と思考もセットなんです。

ま、そんなマインドが私という幻想を作り出し、
この私にいつしか支配されちゃっているんですよねー。

マインドによる恐怖支配

その証拠に、
僕らは1日のうちに結構なんかいも「私」について考えているはずです。
「私はこれでいいのだろうか?」
「さっきの私の態度。間違っていないだろうか」
「あの時の私は、間違っていたんじゃないか?」
「今後の私はどのようにすればいいのだろう?」

みたいな感じでね。
ことあるごとに、私はこれで大丈夫?
ってなことを確認していたりするんです。

そして、この私を確認するたびに、ちょっとだけドキッとしているんですよねー。

これって、まさに恐怖支配のようなものですよね。

この恐怖支配は、マインド(思考)という道具に「私」が組み込まれた時から始まっているんです。
逆にいうと、生まれつき支配されていたわけではない。ということでもあるんですけどね。

マインドの支配力

そもそも、僕らはこのマインドなんかに支配される謂れはありません。
マインドはあくまでツールでしかありませんからね。

では、このマインドの支配からはどう逃れればいいのだろう?
っていうお話なんですが、

このマインド。
さぞかしものすごーい支配力を持っていると思うじゃないですか。

でもね。
実は一切の支配力を持っていないんですよ。

太くて頑丈なロープでがんじがらめにされているわけでもありません。

もうねぇ。
ティッシュのようなうっすい紙テープで縛られているようなものなんです。

もっというと、縛られてすらいないんですよね。

ぜーんぶ大丈夫

ではなぜ、マインドの支配からなかなか抜け出せないように感じるのか?
と言いますと、
それは、マインドからの支配から抜け出す方法をマインドを使ってしようとするからなんです。
ここがマインドの実に巧妙なところだったりするんです。

変な話、マインドってそれが働いている間しか存在できませんのでね。
マインドを使って支配から抜け出そうとしている間も、そのマインドに支配されちゃうんですよねー。

だから、マインドを働かせなければ、支配から解放されるんです。

支配から解放されることで、ぜーんぶ大丈夫!ってことが明らかになるんですよねー。
今まで、大丈夫である根拠さえもマインド頼りになっていたというね。
そんな支配構造も明らかになってくるんです。

ただ、働かせないようにしよう!とすると、ちょっと上手くいかなかったりしますよね。
そんな時は、ただただ見てあげればいいんです。
あ、マインドが起こったな。
ってね。

深く観察する必要はありません。
ただ、起こったね。
でおしまいです。
そこで分析したり、追っかけたり、抑えようとしたり、反芻しなくても良いんです。

 

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