Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

本当の自分はどこかにあるもんじゃないのよ

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕らってちょっと変ですよね。

実際になくしたものを探すのならわかるのですが、
なんか、時に本当の自分を探したくなっちゃったりするんですもんね。

つまるところ、今の自分は本当の自分じゃない!ということを、
どこか心で感じているからこそなんでしょうね。

本当の自分ってどこにいるのか?
というと、もうココ以外にありえないんですけどね。

どうしても、ココの自分が本当じゃないような気がしたりするんですよね。

いつも何かしらの演技を強いられ、
その演目に従うことを強いられたりするうちに、
ココじゃないどこかに本当があるようなね。

そんな気になったりもするもんです。

でもこれ、実際は逆でしてね。
ココだと思っているところが、ココじゃなく、
思ってることを取り去っちゃうと、ちゃんとココが残ってくれたりするんです。

つまるところ、
あなたの救いも、あなた自身の許しも、
すでに全部ココにある。

ココとは、今のまんまのあなたの中にすでにある。
ということなんです。

 

外じゃなくて内にある。

あなたの救い。あなたの許し。
それらはぜーんぶ、あなたの中にあるんです。

だからもうねぇ。
外を探す必要はないんですよ。

外を探さなくても良い。
これを心底知ること。
これがね。
探求の終わりなんです。

とは言ってもね。
やっぱりそうは思えなーい。
って感じちゃうかもしれませんね。

だったらね。
そうは思えないということもね。
そのまんま、あなたが許してあげれば良いんです。

許せるような根拠が見つからないっていうのならね。
根拠なしで許してあげれば良いんです。

それが呼水になるんです。

この呼水とは真実への呼水なんです。
つまりは外に真実はないということなんです。

外はそもそも存在しない幻想の世界

外なんてものはそもそも無いものなんですよね。

福はウチ鬼は外!
なんて言ったりもしますが、
外というのは無いんですよ。

ないものがあると思うから不安になるんですよね。
だって、無いところから来るんですから。
そりゃ怖く感じちゃうもんです。

無いものをあると思っちゃうんですもん。
そんな得体の知れないもの。
怖いに決まってますよね。

でもね。
無いんですよ。そんなものは。
無いものはわかりようがないし、知りようがないから怖いんです。
でも、さらにいうと知っておく必要すらないんです。

なぜなら、知ったものは全て幻想だからです。

知るとは、分別して整理したものですからねー。
でも、ここにある全ては、分けられるものじゃありません。
だからこそ、不足がないわけです。

だから、不安もないんですねー。
分けるから不安を作るわけです。
でもそもそも分けられていないんです。

思考ちゃんの働き

思考ちゃんというものは、分別して整理するという働きです。
この分別の際に、正しい、間違い。良い、悪いという判断が加わるわけでして、
だから僕らは、より良いや正しいを探し求めるわけです。

分けられてないものをあえて分けて整理するというのは、幻想のようなものです。
こういったものは全部イメージに過ぎず、このイメージは、今ここにないもの。
つまりは、そもそもありもしない外を向いているんですね。

この思考ちゃんのイメージを真実と錯覚することで、
何もわからない外が存在するというよな錯覚を生じさせているわけです。

これはまさに、砂漠の蜃気楼のようなものなんです。

ま、そんなわけですからね。
まずはどんな自分でもそのまんまに許してあげれば良いんです。
思考が許せないというのなら、それもまた許してあげれば良いんです。

「それでいいのだ!」
ということです。

 

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