Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らは何も得たこともなければ失ったこともない

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕はねー。
若い頃はかなりのヘビースモーカーだったんですよ。
当時はねぇ、今と違ってタバコを吸うのがある種当たり前って感じになってました。
なので、タバコの匂いが苦手な人はちょっとかわいそうでしたねー。
だってみんなどこででも吸うんですもん。
すると部屋中が煙だらけになって、目がシバシバしてくるんです。
そして、服にはあのタバコ特有の匂いがベッタリとつくんですよ。
苦手な人にとってはたまりませんよねー。

きっとねぇ。
街のあらゆる場所も今より昔の方が臭かったと思います。
電車の車内にも当たり前のように灰皿がありましたし、
飛行機なんかでも吸ってましたもんねー。

また、お酒だってその辺の自動販売機で誰でも気軽に買えましたし、
当時の大人たちは、結構気軽にお酒もどこででも飲んでたような気がします。

もし、タイムマシンなんかがあって、昭和の頃に行けるのだとしたら、
きっと第一印象は、
「クサッ!!!」
なのかもしれませんね。

 

何にもしないという経験

僕らは経験といえば、大体は何かをやる経験っていうのを思い浮かべるかもしれません。
ですが、ヤメる経験っていうのもあるんですよね。
まあやめるのに経験ってのも変なんですがね。
やっていなかったに戻るって感じです。

これはこれで、結構軽ーくなるもんです。

僕も、タバコをやめてもうかなり経ちますが、
やめたら楽ですもんねー。

いちいち、ライターを持っているか確認しなくて済みますし、
ここは吸えるのか?吸えないのか?
移動を始めたなら、次はいつ吸えるのか?
とか、そんなことばっかり考えてましたからねー。

トイレの近いおっさんか!って感じですよ。

それらの煩わしさから解放されるだけでも
かなり楽です。

何かをやめると軽くなる

ちなみにね。
いわゆる悟りだとか目覚めだとか、言い方は何でも良いですが、
それで軽くなるっていうのも、
何かを得て軽くなるということじゃないんですよね。

やめることによって軽ーくなるんです。
ありとあらゆるしがらみや煩わしさからの解放なんですよね。

ですが、この軽くなって楽になるっていうのは、
副作用的なものに過ぎません。

重い荷物をおろした時は確かに軽ーくなりますよね。
でもその軽さって、ずっと軽くなるわけじゃないですもんね。

荷物を下ろした後、しばらく経つと、その軽さは普通になります。
だって、持ってないのが普通ですもんね。

さらにいうと、その荷物っていうのが、架空のイメージだとしれば知るほどに、
「そもそも重さも軽さもないがな。」ということを知るわけです。

すると、得る・失うということや、
何かをやる・やらないということもまた架空のイメージだということを知るんです。

さらには、ちょっと変なんですが、
知るということすらもう無いんですよね。

誰かが何かを知るんじゃないんです。

あるのは、もっとダイレクトな知なんです。

得るも失うもない

このお話はね。
何かを知って得るという話ではなく、
そもそも得るも失うもないというお話なんです。

だから、僕らはそもそも何も得たこともなければ、何も失ったこともないんです。

そして、失うことに対する不安や、失うことへの対処としてあれこれと考えておかなければならないっていう煩わしさから解放されるということなんですねー。

だってね。
例えばですが、
空気から空気が奪われることってありませんよね。
だって、空気は空気そのものですから。

また、水から水が奪われることはありません。
だって、水はどこまで行っても水そのものですからね。

あらゆるものはもう既に全てであり、全てから何かがうしなわれることはないんです。

得る、失う。という概念は思考が作ったイメージの一つに過ぎなかったんですねー。

 

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