Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟りって何に悟ったの??という問いのワナ

f:id:takuteto:20211005200854j:plain

【はじめに】

ほーい。
先日の地震で部屋が水浸しになったタクさんです。
まー、部屋にある水槽の水量が合計で200リットルを超えておりますからね。
もう、バッシャン、バッシャンですよ。

まー、おかげで部屋全体を強制的に拭き掃除できたので、
良かったのかもしれませんけどね。
もう勘弁してほしいです。

みなさん、大丈夫でしたでしょうか??

さてさて、
こういった話をねー。
聞きに行ったりだとか、瞑想をしてみたりだとかでね。

「あ!そういうことか!」

ってね。
なんかピンとくるというか、スッと軽くなるというか。

なんかそんな感じになったことがある人ってねー。
多いと思うんですよね。

でも、日常に戻るとまた元の木阿弥。
って感じになったりしてね。

あれれ?そもそもあの時何がわかったんだっけ??
ってよくわからんことになる方って多いと思います。

今日はその辺のことについて書いてみたいと思います。

 

【何かがわかった感覚】

まー、この
「あ!そういうことか!」
って、なんかスッと軽くなった感じのときってね。

なーんていうか、何かがわかった感覚というよりは、
わからないが消えちゃった感じなんですよね。

わからないが消えた感じを思考が訳すと「わかった!」になる!
みたいなね。

そんな感じのことがおこるんですよ。

わからないが消えるっていうのは、
思考の理屈だと答えを得るということになるんですけどね。

もう一つ方法があるんですよね。

それが、思考が落ちるということです。

わからないっていう感覚ってね〜。
考え続けて無いと維持できないんですよね。

【走るのに疲れたら休めばいい】

これってね。
走るというのと似ておりましてね。

走るを維持するには走り続けなきゃならないじゃないですか。
すると、もちろん疲れてきますよねぇ。

そういう時は走るのを止めて休憩すれば良いわけです。

当たり前ですよね。

わからない!っていうのもね。
考え続けてなきゃ維持できないんです。

考え続けるのって、想像以上にものすごく消費するんですよね。
だから、わからない!があると、早くそれを解消して楽になりたい!
って思うのも、走り続けてると疲れるのと同じようなものなんです。

でも、思考の働きが止まると、わからない!は消えるんですよね。

するとなんか楽になるんです。
これは考えることによる消耗から解放されるからなんです。

【なにがわかったんだっけ?と問いかけると途端にわからないが復活する】

僕らは日常で常になにか考えちゃう。
暇な時間があったなら、何かで時間を埋めて、
思考が完全停止しないように暇つぶしをする。

なーんてことに慣れすぎているんです。

すると、思考が落ちて消えていた「わからない!」もまた復活してきたりするんですよね〜。

で、あれ?あの時、何がわかったんだっけ?
と考えてみると、結局なにもわからんし、わかってない。
っていう風になるんです。

私は悟った〜!ってなっても、なにを悟ったの??
ってなると、あれ?よくわからん。でも体験はあった。

みたいなね。
そういうことになるんですよね〜。

この辺のことがあるので、悟りの体験っていうのは別に意味がないのよ。
ということであって、
もし、そういう体験があった!ということを握りしめちゃっているのなら、
早く手放したほうが良いのよ。
ということでもあるんです。

そもそも、それって体験じゃないんですよね。
むしろ逆で、あらゆる体験が落ちたとも言えるわけです。

ま、言葉にするとややこしいわけですがねー。

【じゃあどうしたら良い?】

そういうことを聞くと、
「だったらどうしたら良い?どうしたら良い?」
がムクムクともたげてくるかと思いますが、

どうしたら良い?というのは、言い換えると、どう考えたら良い?
ということになります。

これは、どのように思考を働かせればいいの?
ということでもあって、
これって、
走るのをやめるにはどういう走り方をしたら良いの?
っていうのと同じようなことになっちゃうんですよね〜。

なのでまずは、
ま、テキトーで良いか。知らんがな。
ということでね。

もっとテキトーに構えてみるというのが良いかもしれません。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!