Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【目覚めの後】探求の第2フェーズ

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【はじめに】

はいよっ!
どうもおはようございます。

子供の頃は鉄腕アトムのシールをあちこちに貼りまくっていたタクさんです。
皆さんはどんなシールを家中に貼りまくっておりましでしょうか??

あれねー。
きれいに剥がせないんですよね。

子供のいる家ってだいたいシールの剥がし跡が残った家具の一個や二個あるんじゃないでしょうか??

さてさて。
シールつながりで強引に話を進めますが、
いわゆる目覚めというのもなんだかシールと似たようなものかもしれないな〜って思いました。

つまり、目覚めの体験というのはシールが剥がれる体験なんですよね。
何かを得るというのは、逆にシールをどんどん重ね貼りするようなものかもしれません。

シールを重ねて貼ることで僕らは何かしらの満足感を得てきたわけですが、
そのせいで、元々の地の部分が見えなくなっちゃってしまったんですよね。

この地の部分を取り戻そうとして更にシールを貼ろうとしている。

これが、僕らがやりがちな勘違いなのかもしれませんね。

 

【私というシールが剥がれるとき】

そんなシールが剥がれる瞬間。
これがいわゆる目覚めの体験なんだと思います。
ですが、大概はシールを剥がした後、

やべぇっ!
ってなもんで、すぐに貼り直されてしまうんです。
シールが剥がれちゃうときに、自分が無くなってしまうっていう恐怖感を感じたりもするんですよね。

ですが、シールは以前の粘着力を確実に失うんです。
もう以前の粘着力が無くなっちゃうんですよね。

このことで、僕らは少なからず混乱をすることがあります。

それは、今まで何かを得る。
つまり新しいシールを貼り重ねていくということを主体に行動してきたのに、
シールが剥がれたところに真実が在る。
ということを知ってしまうことによる混乱ですね。

じゃあ、ワシは一体これからどこに向かえば良いのや??
っていうね。
そんな混乱です。

【探求の第2フェーズ】

そしてこの体験の後、探求の第2フェーズが始まるんですよねー。
今まではどんなシールが最強なのか?と探求していたもんですから、
その目標を失うことによる変な空虚感を感じる方もおられるかもしれません。

この空虚感からの解放。これが第2フェーズというわけです。

もちろん、この空虚感っていうのも、自我ちゃんが仕掛ける錯覚なんですけどね。
自我ちゃんの錯覚という面では一緒なのでフェーズでわけるなんてのもナンセンスではあるんですけどね。

この空虚を新たな観念で埋めるというパターンもあります。
そのパターンでよく使われる観念が「目覚めた特別な私」というものを作り上げちゃうってやつなんです。
でもこの観念もいずれは観念だと気づかれていくんですよね。
だって、ありませんからね。そんなの。

だから、事あるごとに、目覚めたはずなのに、まだ私は足りない!
といったものを突きつけられるわけです。

ホントは、そんな私なんておらんのですけどね。
つまり目覚めた特別な人なんて存在しないわけです。

この空虚感は、自我ちゃんの最後の抵抗と言えるかもしれません。

【失うことを受け入れる旅】

シールを剥がれるということは、何かを失うということですからねー。
なかなかに抵抗感を感じることってあるんですよね。

目覚めの体験前の探求は、目覚めを得る旅なんだとすれば、
第2フェーズの探求は、もしかしたら、失うことを受け入れる旅になるのかもしれません。

ま、どっちも一緒なんですけどね。

ですが、実際には何かを失うなんてことはないので安心して失ってしまえば良いんです。
これは全部ある中から選り分けた一部を手に入れたと錯覚していただけですからね。

選り分けを手放せば、
「ありゃま、全部最初からここにあったわ!」
ってなるんですよね。

 

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