Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【運命論・宿命論】運命とか宿命とかストーリーについてのお話

はじめに

はぁーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕らはやってくるものをただ味わう者です。
そしてあらゆることはやってきては去っていくんですよ〜。

的なことをここでもゆ〜てるわけなんですけどね。

となると、
やって来ることはコントロールできないの??
ってな質問をよくいただきます。

でね。
誰も何もコントロールしたことなんて無いよ〜。
って答えているんですけどね。

そーすると、
皆さんの中でもこう思う方もおられるかもしれません。
「コントロールできないとすると、
すべては運命によって決まっているってこと??」

ってね〜。

「でもまてよ。
宿命は変えられないけど、運命は変えられるって聞いたぞ?
じゃあ、運命はどうやって変えれば良いんだ??
でも誰も何もコントロールしてないんだったら、運命だって変えられないのか??」

ってねー。
色々と思いが錯綜してきちゃったりするんですよね〜。

というわけで、今日は運命をテーマに書いてみたいと思います。

 

運命論や宿命論

運命って言うとね。
きっと皆さんが想像するのは、
自分に対してやってくるストーリーのことだと思うんですよ。

「わたしは、こうなって、ああなった。」
っていう感じのね。

そして、このストーリーについて、
これはもうすでに生まれる前から決まっていたことなの?
それとも、私自身で変えていけるものなの??

ってなことが気になったりしてると思うんですけどね〜。

そもそも、このストーリーの部分ってね〜。
起こっているようにみえて起こってないんですよね。

ただただ、そう解釈しているに過ぎないんです。
まあこの解釈っていうのも、これまた勝手に起きてるから仕方がないことではあるんですけどね。

この解釈への執着が強いほど、ストーリーが実際に起きていることだと感じがちなんです。

ストーリーは解釈に過ぎない

ストーリーって解釈に過ぎないんだよね〜。ってことはね。
ストーリーから離れてみると結構わかったりするんです。

たとえば、昔のこととか思い出してみるとね。
あのときは、あんなに悩んでたけど、今ではどうでもいいことで悩んでたよな〜。
って思うことってあるじゃないですか。

これって、今はあのとき悩ませてた解釈にあまり執着してないからなんですよね。

この感じからもっともっとストーリーから離れてみると、

「あ、ストーリーって解釈なんだ。
そして、解釈ってべつになんの力も持ってないんだ。」
っていうことが見えてくるんです。

夢の中で、これは夢だ!って気づいたり、夢中になって観てる映画の途中で、
あ、映画終わったら何食べよう?って考えちゃったりするのとちょっと似ているかもしれません。

これくらい離れちゃうと、
ストーリーって解釈によってどうとでもなる。
っていうこともわかっちゃうんです。

ただね。
ストーリーに執着してると、だったら解釈を変えたいっ!って思ったりするんですが、
ストーリーから離れていると、起こってる解釈もまた、そりゃそういう解釈が起こるのも無理ないよね。っていうこともちゃんとみえてくるんですよね〜。

そして解釈はどんなものであれ、それは起こるべくして起こっているから、それでいい!

そして、解釈はどこまでいっても解釈に過ぎない。
っていうこともちゃんと分かるんです。

そもそも、何が良くて何が悪いってことも無いんです。
だってどんな解釈も同じ解釈ですからね。

解釈は執着してはじめて効力があるっていうか、効力があるような錯覚を起こすことができるってことが、見抜かれちゃうんです。

あらゆることは、起こっているように見えて、起こってないとも言える。
だけど、全てはぜーんぶ、エネルギー的なんです。

それらを僕らは、ただ味わっているだけなんですが、そんな味わう僕らと全ては完全に一緒のものなんです。
ちょっと、ここいらになってくると話がややこしくなっちゃいますね。

というわけで、今日はこの辺までにしておきます。

ではでは、また明日〜♪

 

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