Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考を捨てる?執着を捨てる?

はじめに

はいどうも〜。
タクさんです。

これは思考だ!思考は捨てよ!
これは執着だ!執着は捨てよ!

私はいない!それは思考だ!それを捨てよ!

とかね〜。
もしかして、皆さんもそういうことを言われて傷ついたりしてないでしょうか??

だってねぇ。
捨てろ!と言われても、どう捨てたら良いのよ?って話ですもんねぇ。

いや、ゴミ箱はココにあるんですよ。

なに?ジェスチャーで捨てるふりをすればいいの?
って話ですもんね。

これねぇ。
捨てよ!とか言われても、捨てられないんですよ。

だって、無いんですもん。

ちゃんとゴミみたいに形になってたら捨てられるんですけどね。
それがないから困ったものなんです。

 

思考が起こらない状態を保つ??

だからね。
「捨てるということは、もうココから無くなるってことだ!」
ってな解釈でもって、思考を起こらなくしよう。
なんとか、思考が起こらない状態を長続きさせよう!

って頑張っちゃうんですよね〜。

で、思考が起こってしまったら、
「くそーっ!まだ捨てきれてない!」
どうやったら完璧にすてられるんだー!

そうかっ!きっと捨てるためのコツがあるんだっ!
このコツを早く身に着けなければっ!

ってなったりしてね。

でも、瞑想してみても、座禅を組んでみても、滝に打たれてみても、
その時は、いい状態が保ててたりするんですけど、

そのうちまた、思考が起こっちゃうんですよね〜。

そしてまた、
「くそーっ!まだ捨てきれてない!」
ってなっちゃうんです。

無いものは捨てられない

これねぇ。
元々無いものですのでね。
捨てられなんですよ。

つまり、捨てなくてもいいんです。

また、捨てるということは、無い状態を保つということでもありません。

状態なんてずーっと移り変わりますからね。
変わるのが状態であって、変わらないのはもう状態ですら無いんです。

それを、状態を固定しようと頑張っちゃってるところですでにボタンの掛け違いが始まってしまってるんです。

執着は演出のようなもの

状態を固定しようとするから、そのやり方やコツを探し求めてしまうんですが、
そこで教わるのは、ちょっとだけ思考から距離を取るコツになっちゃいますのでね。

うまくいくときだけ、思考が収まるだけで、また思考は動き出してしまうんです。

これはねぇ。
息を今だけ止めることはできるし、訓練次第ではもうちょっと長く息を止めることができるようになる。
みたいな話でね。

だからといって、呼吸がなくなるわけではないよねってことなんです。

思考ちゃんも呼吸のようなもので、起こっては消えていく一つの機能なんです。

この機能は、仮想現実をストーリー仕立てにして表現するという機能であって、
それ以上でもそれ以下でもないんです。

でも面白いことに、このことに気づくほど、思考への執着も消えていくんですよね。
っていうか、そもそも執着なんてものもなかったんです。

執着って、ある種の演出のようなものだったんですよね〜。

ストーリーにおける効果音のようなもので、この演出のお陰でストーリーへの興味を掻き立てるようなやつだったんです。

 

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