Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

誰も何もコントロールしていない

はじめに

どーもー。
みなさん。
恋してますかー?

というわけで、おはようございます。
タクさんです。

まーとはいえ、日本の歌謡曲って恋の歌が多いですよね。
海外でもそうなんでしょうかねぇ?

ビートルズとかそうでもないですよね。

さて、そんな恋ですが、
これって、自分でやろうと思ってやってるわけじゃないですよね?

そもそも、自分の好みのタイプだって自分で決めているわけじゃありません。
恋も好みも自動でやってきます。

だって、
「明日から背が高い人をタイプにしよう!」

ってねぇ。
そんなの決めてませんもんね。

自動で起きているんです。

これはねぇ。
恋に限った話じゃありません。
ありとあらゆることは自分が決めて自分がやっているわけじゃないんです。

 

誰も何もコントロールしていない

例えば、空模様についてだと、これは自動で起きていて誰も決めていないというのはわかりやすいかもしれません。
「明日は雨にしまーす」って誰もやってませんもんね。

僕らの思考や行動。そしてありとあらゆる出来事や出会い。
これもね。
勝手に向こうからやってくるものなんです。
僕らは味わう者であって、コントロールする者ではないんですよねー。

僕らは、目の前の世界を、言葉によるストーリーに置き換えた時点で、誰かが何かをコントロールしているという錯覚を見ているに過ぎないんです。

思考ちゃんは受け入れられない

どうしたらいいのか迷う〜!
なんてこともあるじゃないですか。

これもねぇ。
だーれも意思決定してないんですよ。

この、誰も何も決めていない。コントロールしていない。
ということは、思考ちゃんにはとても受け入れられないものだったりするんですけどね。

思考で納得しようとするのではなく、あらゆる言葉を置いておいて、
ただ感覚を感じていると、納得しやすいかもしれません。

感覚は事前にコントロールできませんし、誰も何も決めていませんからねー。
ただただ、名も無い感覚がやってきては消えていく。
それだけなんです。

そう、僕らはなんにもしていないし、そもそも自分なんてものも存在してないんですよね。

理解しようとするとハマる

ただねー。
このことを思考で理解しようとすればするほど変にハマっちゃうんですよね。
思考はそもそも自分というものが存在するという大前提で成り立っているわけですからね。

「私がいない」を理解した私!

になろうとするんですよね。

そもそもこれって論理破綻しているんです。

なので、この辺のことは思考でわかろうとしないほうが良いですね〜。
思考で捉えようとするとちょっと荒唐無稽に感じるかもしれませんし、
荒唐無稽だからこそ、なんとか捉えようとしちゃうんですけどね。

思考で捉えるってコト自体が、目の前の世界に色付けをして置き換えるようなものですからね。
置き換えた時点で、違うものになっちゃうからこそ変にハマっちゃうんです。

なので、言葉で何かを説明するようなことをせずに、ただただ今を感じてみたら良いんです。
すると何もしてないのにすでにずっと今を感じていたことを改めて知るんです。

 

 

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