Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考は誰のものでもない?

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【思考は誰のものでもない?】

へいっ!
おはようございます。
タクさんです。

今日の天気はどうでしょうね〜。
晴れの方もおられれば、曇りや雨の方もおられるでしょうね。
そして、どんな天気でもまた、それでよしです。

今日もツイッターの方にいただいた質問に答えていきたいと思います。

いただいた質問はこちらです。

天気で、今日が雨なのは、自分のせいじゃない(誰のせいでもない)のはわかります。
思考も同じ原理っていうのが(誰のせいでも誰のものでもない)っていうのがわかりません。
私にしかわからない思考だし。。説明してぴょん

というわけで、こちらのご質問をテーマに書いていきたいと思いますぴょん!

 

【天気は誰もコントロールしていない】

まー、確かに天気は誰のせいでもないですよね。
もし、天気が誰かのせいなんだとしたら、その人は天気を自在に操れるということになります。
天気は誰にもコントロールできません。
せいぜい予報をするくらいですが、これだって万能ではなく、
明日はともかく、一月後の天気なんて誰もわかりませんもんね。

【思考は誰もコントロールしていない】

では思考はどうでしょう?
自分の思考は自分でコントロールしているのでしょうか?

もし、思考を自分でコントロールしているのだとするなら、
この世に悩みなんて存在しないんじゃないでしょうか?

よーし!今日から僕は良いことだけ考えよう!
ってね。そうすれば悩みなんて出てくる余地がないですもんね。

嫌な思考がきになるなら、良い思考に変えれば良いだけです。

実際本屋さんにいくと、こういう時はこう考えよう!みたいな本も溢れております。
まるで、僕らは思考をコントロールできるかのように書かれておりますね。

にもかかわらず、人はなぜ思考に悩まされ続けているんでしょうか?
この種の本がなぜいつもいつも発売されるのでしょうか?

それは、僕らがうまく思考をコントロールできないからなんですよね。

なぜなら、そもそも僕らは思考の持ち主ではないからなんです。

【思考は誰のもの?】

「でも、私に起こっている思考は、私にしか、わからないものだよ??」

「だったら、この思考は私のものじゃないの??」
って思いますよねぇ。

でもね。この「私」っていうのは、どこにいるのか?ってことなんです。

私が思考をコントロールしている。そして、この私が思考をしている。
これがねー。僕らの平均的な感覚だと思うんですけどね。

この「私」というモノは、思考が働いている間しか存在してないんですよね。

熟睡中は、この私はいません。
「はっ!寝てた!」って思考が働きだすと、私が登場します。

そして、ボーッとしてると、また私がどこかに消え失せます。

いかんいかん、自分を見失ってた!ってなると、また私が登場するわけです。

これね。
私が思考を操ってるんじゃなくて、思考の中に「私」がいるってことなんですよね。

思考の中で、「私」という架空の存在を作り、これまた思考の中で「私」と「私以外」を作っているんです。

【主体者はいない】

作っていると書いちゃうと、誰が?ってなると思いますが、
この誰が?って思っちゃうこと。
コレこそが、思考の働きの特徴なんですよねー。

誰かが何かをする。
誰かが考える。
誰かが怒る!
誰かが悲しむ。

みたいな感じでね。
常に起こることには誰かがいるはず。はたまた原因があるはず。
ってね。
そういう仕組みで思考は働いているんです。

だから、原因もなければ誰かもいない。
って言われちゃうと、思考には理解不能なことになるんです。

考えれば考えるほどわからなくなっちゃうんですよねー。

なので、この話は思考を超えた話といいますか、思考以前のお話なんです。
僕らはあまりにも思考依存になりすぎて、それがないと何も始まらない!
みたいなね。
そんな錯覚をしているんですねー。

思考はただ起こっているんです。「私」もまたその思考の中の住人なんですねー。
私が生きているのではなく、命の働きがただ起こっているんです。
そして、正解も間違いもなく、あるもないもないんですねー。

正解や間違い、あるとない。これらもまた、思考の中だけのものなんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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