Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らは等しくみんなアホ

はじめに

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

まあねー。
僕らってね。
みーんなアホじゃないですか。

みんな夢見るおバカさんですよね。

だって、僕らがかしこだと思っているのって、
思考力が高いとか低いとか、
そういうのを比べたりしてるんですもんね〜。

もうこれってね。
ほら、派手なトリが羽を広げて自己アピールしたりするじゃないですか。
あれと一緒なんですよ。

ネットでは、インテリじみた人が他人をアホだ馬鹿だとからかって、
悦に入っていたりしますけどね。

やっぱりみんなアホなんですよ。

踊る阿呆もいれば、みる阿呆もいて、
そのほかにも、いろーんな阿呆がおるというわけです。

そして、それでもう完璧なんです。

完璧なのに、かしこを目指そうとするのもまた、
僕らのアホでカワイイところで、かしこを目指そうとたくさんの比較材料や
思考の種を仕入れては、かしこになったつもりになったりしてね〜。

もうこれも、カワイイアホってことなんですよね。

 

僕らは等しくみんなアホ

僕らはみーんな等しくアホですからね。
アホの中には、金の亡者になる人もいれば、
カルトやスピにハマる人もいれば、
陰謀論が大好きな人もいれば、
ビジネス大好きな人もいるし、
自堕落に過ごす人もわけです。

そして、
みんな、どれにハマっても良い!んです。

どんな遊びをしても良い!その権利があるわけですね〜。

ただ、何かを人に強制させる権利はないわけです。

みんな、自分の好きと嫌いを遊べば良いわけですからね。
だから、誰かが自分の嫌いなことにハマっていたとしても、
それを咎める権利はないわけです。

何かを強制されたりしたら、そこで私は嫌だ!と言えば良いわけですからね〜。

そして、嫌だを聞かないならスス〜ッと離れればいいわけです。

落ち込むのは変な錯覚を持っているから

でね。
僕らってみんなアホだから、
落ち込む要素もないんです。

落ち込むのは、自分がアホじゃないと思っているからですからね〜。

ここが間違っているから、落ち込むんです。

考え違いをしているんですよね。

アホだからアホらしく在れば良いんですよ。
すると落ち込む要素は一切なくなるんです。

明石家さんまさんも言ってはりました。
「人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん」
 落ち込むのは、心の中に「本当は自分はもっとできるはず」という気持ちがあるからや!
ってね〜。

ほんとそのとおりで、僕らはどうあがいても、
何をしていても、
もうそれが全てであって、それでもう精一杯であって、
それ以上でもそれ以外でもないんですよ。

頑張ったも頑張らなかったもないんです。

どんな生き方をしていようとも、ちゃんと全てを生ききっているんです。

つまり、あなたはすでに完璧なんです。

アホな私を許すとき

ま、そんなわけでみんな等しく、みんなアホですからね。
そんなアホである等身大の自分を受け入れたなら、完璧なあなたが姿を表すんです。

そして、思考の幻想性が見破られたとき、アホもかしこも無いことを知るんです。

あ、全てはすでに完璧であって、何を足さなくても、何を引かなくても、
このまんまで完璧だったんだと知るんです。

誰かが何かをしなくても、すでに全ては許されていた事を知るわけです。
そしてこの「アホ、かしこ論争」という夢から目覚めるわけですね〜。

これが「アホ、かしこ論争」の中、なんとかかしこを見つけ出そうとするという、
探求の旅の終わりなんです。

アホアホ言ってごめんなさいね!
このアホは関西弁でいうところの、可愛らしく愛嬌のある様という愛らしい存在だということですのでね。
アホという言葉に引っかかる関西以外の方は、気に触ったならごめんなさいね。

そして、可愛らしく愛らしいあなた自身を、どうか愛でてあげてくださいませ。

 

※愛らしい自身についてのお話しをしてみませんか?

takuteto.hatenablog.com