Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【認知バイアス】つけているのに気づいていない色眼鏡

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

悩みランキングの中で、常に上位に君臨しているもの。
それが人間関係の悩みです。

みなさんもきっと、人間関係によって苦しんだり悩んだことがあるかと思います。

人は社会的動物ですからねー。
つまり群れで生活する動物というわけです。

だから、人との関わり合いっていうのは
切っても切り離せないモノですからね。

だからこそ、ここが上手くいかないと困っちゃったりするわけです。

SNSとかでもしょっちゅう炎上だとか言い争いってのも起こってたりしますよねー。

ちなみにね。
お互いの意見が一向に噛み合わず平行線で
そのせいでクソリプ扱いをされたり、
はたまた両陣営に別れて言い合いが激化したりしてしてね。

「なぜ人は分かり合えないのか・・・!」
って嘆いたりしてねー。

ま、この人が分かり合えない理由の一つ。
それが認知バイアスです。

僕らってね。
あらゆることを認知した瞬間にバイアスがかかっているんです。
ここに例外はないんです。

つまり認知したものには全てバイアスがかかっているということなんです。

 

認知の歪み・色眼鏡

認知バイアスっていうのはね。色眼鏡のようなものです。
僕らは、知ること。認知すること。これら全てを色眼鏡を通して見ているんです。
つまり、
思考による解釈は全て色眼鏡を通して見ている。
ということなんですね。

あらゆる全ての解釈は色眼鏡を通して見たものなんです。

この色眼鏡。つまり認知バイアスとは、歪みなんです。
認知の歪みなんです。

僕らってね。
みんな同じものを見て、同じことを感じているって錯覚しているんですけどね。
実は、みんな違う認知バイアスを持っていて、
みんなそれぞれ、歪んだものの見方をしているんですねー。

みんな歪んだものをみている

認知するもの。
つまり解釈するものには全て認知バイアスがかかっている。

これは、言い換えるとみんな全て歪んだものを見ている。
ということになるんです。

でもね。
みんな、見たままを見ていると思っているし、
見たままを正当に解釈しているって思っているんですよね。

だから、自分とは全く違う解釈をする人に対して、
悪意を感じたりするんです。

それでいて、
自分もバイアスがかかったものを見ている。
つまり、色眼鏡を通して見ているということを棚に上げちゃってるんですねー。

だから、自分は当たり前に正しいし、
自分の正しさと同じじゃない人は、悪いっ!って思い込んじゃったりするんです。

これが認知バイアスによって起こる分断です。

みんな歪んでるよね。

ここで、ぶつかり合いを起こさないためには、
みんな錯覚を見ているよね。
ということをちゃんと共有することなのかもしれませんね。
それでいて、
あなたは、どういう錯覚をしたの?どこが歪んでるの?
私は、ここのゆがみがあなたとは違うように感じるんだけど、、、。

みたいなね。
そんな会話が行われたとしたら、この言い争いや分断はあまり起こらないんじゃないかなーって思います。

みんながみんな。
自分の色眼鏡こそが真実であり正しいものの見方だ!って錯覚するから変になるわけであり、
私は頭がいいから、私のものの見方こそが正しいんだっ!とか主張する人がいるから余計こんがらがるんです。

そもそも頭がいい!っていうのは、回転が早いのか、いろんなことを知っているのか?ってことになるんでしょうけど、これらは、自分の色眼鏡が正しいっ!ということとは全然関係ありませんからね。
むしろ、そう思い込んでいるほど歪みも大きかったりするもんです。

そもそも、みんな色眼鏡を通して見ている限り、
みんなアホなんですよね。
このアホさには、違いはあれど、価値の差なんてないんです。
みんなアホで、それでいいんです。

認知した時点で、解釈した時点で、その認知や解釈は歪んでいるんです。
これが思考は幻想だよーということなんです。

何かしらの色眼鏡を通されているので、色が着いちゃっているんですよねー。
このことを忘れちゃうから、自分こそが正義だと錯覚しちゃいますし、
逆に、自分はなにか間違っているのかもしれないと思っちゃったりもするわけです。

 

 

 

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