Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

脚色へのこだわりが幻想を生む

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ウケるぅーって言葉はいつから使われ始めたんでしょうかねぇ?
僕のイメージでは関東圏の方言ってイメージだったんですが、
なぜウケるがオモシロイ、笑えるといったような意味になったんでしょう??

まあでも、
ウケるが肯定的な意味で捉えられているっていうのは、
ちょっとなるほどなーって思ったりもするんですよね。

そもそも僕らって、常に受け身なんです。
体調にしたって、思考にしたって、気分にしたって、
ずーっと受け身なんですよね〜。

腹が減るにしろ、喉が渇くにしろ、
これも全部受け身ですからね。

人間に限らずあらゆる生物も受け身ですし、
生物に限らず、あらゆる物質もまた受け身なんですよね。

だから起こってることについてはぜーんぶもう受け入れているんですよね〜。

ま、つまりウケてるわけです。

ちなみに、起こっていることというのは、すべてなんでも無いことなんです。

なんでも無いとは、どうってこと無いということじゃなく、
無である。
ということです。

何が無なのか?というと色がないということです。

つまり脚色がないということなんです。
このなんでも無いことに脚色を加えたものを僕らは普段起こったこととして捉えているんですね〜。

 

受け入れたいけど受け入れられない

さてさて、そんな全てが受け身な中で、受け入れられないことがでてくると、
僕らは苦悩するわけです。

それをなんとか受け入れられる形にして受け入れようとするわけですね。

まあよく、
受け入れが大事だということを知ってはいるけど、
どうしても受け入れられない。
ということがあって、それで悩んでいる。
っていう方も多いかと思います。

まー、そういうときってね〜。
受け入れられない理由がもう無限に出てくるんですよね。
こんなの受け入れられるはずがないでしょっ!
ってな感じでね〜。

そして、理由が出てくれば出てくるほど、
余計に受け入れられないっていうね〜。

まぁ、この出てくる理由がね〜。
ものすごく真っ当だったりするんですよね。
困ったことに。

受け入れられないという抵抗

でね。
この受け入れられないっ!っていう思いが、
あるがままに起こってることへの抵抗になっているので、
この抵抗が強いほど苦悩するわけです。

雨が降ってる空に向かって、
雨を降らすな〜!って叫ぶ感じでしょうかね。

ですが、そうやって空に向かって叫んでいても、
雨に濡れてしまうことには変わりないんです。

つまり、もう雨を受け入れているんですよね。

受け入れているのに、
「絶対に受け入れられないぞぉー!」
ってやってるんです。

脚色へのこだわり

つまりね。
受け入れたいけど受け入れられない。
という悩みって必要ないということなんです。

だってもうすでに受け入れちゃってるから。

そうなると、ちょっとわからなくなってきません??

ん?じゃあ一体何について悩んでるんだっけ??
ってね〜。

それもこれも僕らは、脚色の方ばかりに注目しちゃってるからなんです。
受け入れられない!ってのも脚色なら、
その受け入れられない理由もまた脚色なんです。
その脚色を変えたい!と思うのもまた、脚色へのこだわりがそうしているだけで、
そもそも、この色って無色透明だったんです。

だったら、なんでこの脚色にこだわってたんだろう??ってことになってくるんですね〜。

 

 

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