Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

外の世界への恐怖感

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おばけなんてなーいさっ!
おばけなんてうーそさ!

というわけで、
おはようございます。
タクさんです。

まー、僕らが何かを怖がるのって、
自分の外に世界があり、その世界に気分次第によっては、
ほんのひとひねりで自分がころっとやられてしまう。

みたいなねー。
そんな思いがあるからなのかも知れませんね。

お化けを怖がるというのも、
これまた、人間特有の思いなのかも知れません。

人は、神という存在を作ることにより、
他の動物たちに話し得ないような、より大きな団結、チームワークを手に入れることができた反面、
自分の外に存在を作るという特技によって自分の首を絞めちゃうといったようなこともしちゃうわけです。

首の長いキリンが、高いところの木の実を食べられる反面、思いっきり肩こりに悩む。
みたいなことに似てるのかも知れませんね。

ま、実際にキリンの肩は凝ってるのかどうか?は知りりませんけど。。。

 

さてさて、
お化けはいるのかいないのか?論争については、まあどっちでも良いとして、
もし、「あなたには悪霊が憑いてますよ!」とか言われたのだとしたら、

そのことでどうにかしなきゃいけないのは、見てるあなたの方ですよー。
ってね。
思ってたら良いんですよね。

お化けが見えないのなら、問題なしなんです。

もし見えちゃうし、それが何やら怖いのであれば、
それはあなたの中で見えていることなので、成仏させてやらにゃーなりません。

お化けも思い込みによる観念も、扱い方は一緒で、
まずちゃんと、その存在を認めて受け入れてあげ、言い分を聞いてあげることで、
成仏してくれるんですよねー。

でももし、あなたにはこういうのが憑いてるわよっ!
ちゃんと成仏させてあげなさーい!
って言われて、何やら自分の中で気になるところを突かれたーっ!
って感じたのなら、
その思いを成仏させてあげたら良いんです。
それがお墓参りであっても、祈りであってもオッケーです。

まあよく
「わたしはいない」だの「全ては幻想」だのという言葉を聞いていると、
なにやら、自分が見ている世界は偽物で、本物の真実がどこかにあるのではないか?

これは真実なのか?
それとも嘘なのか?

自分には見えてない世界があるのではないか?

みたいなね。

そんな思いに駆られることもあるかも知れません。

でもねぇ。
それはまさに映画のようなものであって、
僕らは、ありのままの世界を掴み取る時に脚色を加えて観ている。
ってだけの話ですのでね。

自分の知らない世界がどこかで展開しているのでは?といった心配は無用なんです。

もちろん、脚色の仕方は人それぞれであり、この脚色を共有することで僕らは共有幻想をみるわけですので、
自分の知らない幻想世界は無限にあるわけですが、
真実は、それが全て脚色であるということ。
そして、脚色に価値の違いがあるわけがないということ。

あらゆる脚色されたものの向こう側には、そのまんまのスクリーンが広がっているということですのでねー。

あまり脚色にとらわれる必要はないんです。

スクリーンはあらゆるものを映し出せるポテンシャルです。
どんな表現もまさにこのポテンシャルに含まれているわけです。

言い換えると、
どんな波の形をも表現できるポテンシャルを海は持っている。
という感じでしょうか?

そして、まさにこの波の働き、この動きはなんの動力源にも依存していません。
まさにイノチがダイレクトに表現しているわけでして、僕らもまたイノチの表現そのものなんです。

イノチのダイレクトさは、全ての表現と一緒であり、あらゆる波もまたダイレクトなイノチの表現そのものなわけですが、このイノチは波の一部分には収まっていないんです。

部分であり全てなんです。そして全てなので、外と内というのもないんですよねん♪

 

 

takuteto.hatenablog.com

 

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