Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【諸行無常】常は存在しないが自我ちゃんは常しか捉えられない

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【はじめに】

ほい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

浦島太郎ってお話があるじゃないですか。
龍宮城に行って戻ってきたらえらい時間がたっていたっていう話。
あれねー。
一応、相対性理論で考えるとありえなくはない話なんですよね。

例えば、竜宮城は宇宙のはるか、ものすごく遠いところにあって、
亀はそこに向かって光速で移動していて、
更に龍宮城もまた光速で移動する場所だったりしたらね。

相対性理論では、時間の流れが変わるので、
竜宮城の時間と地球上の時間では差が生じるんですよね。

ただ、玉手箱をあけたら爺さんになるってのは、
ちょっと変な感じもします。

そんな話を聞いたなら、タイムマシンってのもいつかは作られることがあるんだろうか?
って思っちゃいますよね。
とはいえ、多少の時間の差は起こったとしても、過去に戻るってのは無理っぽいですね。

ただ、変な話、自分が過去に行こうが未来に行こうが、結局どこに行っても、「今」なんです。
未来に行ったとしても、それはもう「今」であって未来じゃないんです。
仮に過去に行ったとしても、それはもう「今」なんですね。

そして、この今を何かしらの脚色を加えて呼んでいるだけなんです。

実際には、過去や未来って脚色の中にしか無く、実在はし得ないんですね〜。
つまり「今」しか実在してないんです。

 

【「今」はとても頼りなくみえる】

ま、そんな「今」なんですが、
この「今」は自我ちゃんにとっては、とっても頼りなく、そしてつまらないものに見えてしまうんです。
なぜなら、「今」には脚色をつけることはできませんからね。

僕らがつける脚色は結局、過去の遺物なんです。

それをつけて「今」を作り変えないと、自我ちゃんはそれをとらえることができないってわけです。

そして、この脚色の中に「許せない」と思っているものが入り込んでいると、
自我ちゃんはこの脚色と強く同化するんですね。

逆に、どうでもいいと思っている脚色については、簡単に剥がれ落ちます。
脚色が剥がれ落ちると、まったき「今」だけが残るんです。

【許せないという脚色】

では、この「許せない」はどのような形で脚色に入り込むのかと言うと、
基本的には苦しみとして入り込んできます。

また、夢や希望の中でも、何かを否定した形の夢や希望。
つまり、今の状況がどうしても受け入れられないから、望みを夢に託す的な?
そういったパターンも「許せない」に入り込んでくる場合があります。

そうなってくると、自我ちゃんからすると「今」は到底受け入れられないものになってしまうんです。
これは、自我ちゃんからすると「今」を受け入れてしまうと、その「今」が固定されてしまう。っていう思い込みがあるからなんですよねー。

だから、今にある。今を認めると、
「この今の苦しみが解決されないまま延々ととどまってしまう。」
と錯覚してしまったり、
「未来に託した希望を捨てなきゃならない」
と解釈してしまうんですよね。

だから、「今」は受け入れられないものになっちゃうわけです。

【今も無い。常も無い】

でもねー。
この「今」しかないという言葉は、「今」もないってことになるんですよね。
自我ちゃんがとらえる「今」は過去と未来があっての「今」なわけですが、
「今」しかないのなら、その「今」もまた消え去ってしまうんです。

つまり「今」は過去と未来があって初めて定義され掴み取られておりますのでね。
過去がないなら、「今」もまた無いんですよね。

なので、今に在ってみると、その「今」もまた溶け去って行くんです。

そして、そこにあるのは無常なんですよね。
無常とは「常ではない」ということです。

愛も情けもないという意味の「無情」ではないですよ。

常がないです。
この「常」とは変わらないもの。みたいな感じでしょうかね?
それが無いということですね。

つまりとどまることはない。ということですね。

だから、今にあることで苦しみが延々ととどまる。
ということは無いということです。

また、何かを捨てなきゃならないこともありません。
そもそも、僕らは常のない今にすでに在りますし、
何も持ったこともなければ、何も捨てたこともないんですよね。

ただし、自我ちゃんはそれを受け入れられません。
なぜなら、自我ちゃんは「常」しかとらえられないからなんです。

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