Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あらゆるものは、そう見なされたものである。

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ぼくねー。
昔、デザイン事務所を経営しておったことがあるんですけどね。
ま、経営っていっても、僕一人でやってただけなんですが、
その事務所の名前が「ブライミーデザイン」っていう名前だったんですよ。

この名前にした理由は、なんとなく名前の中に伸ばし棒(ー)、長音符を入れたいなーという理由がひとつ。あとは「4文字(ー)デザイン」にすると呼びやすいという理由でいろいろと探しつつこの名前にしたんです。

でね。
この名前の名刺を作って、届出をだして営業を始めたわけですが、

まあ、当然といえば当然なんですが、そうしますと、
営業先の強面のおじさんや、やりて風のOLさんたちも、
こぞって僕のことを、ブライミーさんって呼ぶようになるんですよね。

まー、普通のことなんですが、僕はなんかこれがおかしくてねー。

だって、みんな真顔で、「ブライミーさん」とか呼んでくるもんですからねぇ。
「それ、ワシが作った名前なのにぃー。」
って心の奥でほくそ笑んでいたんですけどね。

これって、まさに、大人が真面目におままごとをしているのと同じ光景ですよね。

そう思うと、人間社会というものも可愛らしくて微笑ましいなぁって感じます。

皆さんは、どんなおままごとを遊んでおられますでしょうか?

どうせ遊ぶなら、生き生きと楽しく遊びたいものですね!

 

あらゆるものを、そう見なしているだけ

「あらゆることは、それがただ、起こっているだけだよー。」
ってなことを、よく僕も言っているわけですが、
そうすると、

「こういうことがあったんですが、これもただ起こっているだけなんですか?」
「あんなことがあったんですが、それもただ起こっているだけなんでしょうか?」

みたいな質問をよくいただきます。

「こういうこと」や「あんなこと」の中に入るストーリーは、大体、受け入れがたいと感じられるものが入ってきます。

この問いはねー。
きっと、起こったことをどう自分の中に受け入れたらいいんだろう?
受け入れがたいことをどうしたら受け入れられるようになるんだろう?
っていう悩みからきていると思うんですね。

その起こっていると思っていること、それはストーリーなんです。
そしてそのストーリーは、そう見なしているだけのもので構成されているんです。

起こっていることはストーリーではない

ストーリーは起こっていることに脚色を加えたものです。
実際に起こっていることは、なんでもないことなんですね。
それに脚色を加えて、何かしらのストーリーに仕立て上げているわけです。
この仕立て上げられたストーリーを受け入れられない!と感じるのもまた、
その受け入れられない理由が見なされた何かしらのものによって、そう演出されているわけです。
つまり、受け入れられないからには、受け入れられない正当なストーリーがあるというわけですのでね。
それを無理やり受け入れなければならない!ということではないんですよね。

起こっていることはストーリーとして演出されたことではないんです。

ここしかない。向こうはない。ここもない。

演出されたストーリーは、その物語を先に進めなければ成り立ちません。
だから、ストーリーの演出上、ここではないどこかへ向かおうとするわけですが、
実際には、ここしかなく、向かうべきどこかというものってないんですよね。
この時、何か目的を見失うかのような感覚と、
「だったら、どうすればいいのよー!」
みたいな思いも湧いてくると思うんですけど、これも、
「どうストーリーを演出したらいいのよー」っていう問いということになるんです。

演出はまあ、自由なんですが、どの演出がより価値が高いということではないんです。

ただ、自由とは言っても、ストーリーの辻褄がしっかりと納得できないとその演出は真実味を帯びないという側面もあるんですけどねー。

ただ、向かうべきどこかはなく、ここしかないんです。
あるのはもう「ここ」だけなんですねー。

そしてね。ここ以外の何処かがないということは、もう「ここ」もないってことになっちゃうんです。

つまり、なんでもないものがあり、そのなんでもないものは、どんなものにでも演出されるものであり、つまりは、あらゆるものでもある。
ということになるんです。

このあらゆるものは、演出されたものであり、そう見なされたものなんですねー。

ま、そんなことを聞いちゃうと、
「この話になんの意味があるのよ?どこに意味を見出せばいいのよ?」
ってなると思うんですけどねー。

この意味が欲しいという衝動がねー、ストーリーをどこに向かわせたらいいのかという衝動のことなんですよね。

そして、意味により価値の高いものを求め、ストーリーをより価値の高いものにしたい!って僕らは願うわけですが、

まー、それはそれとして、一旦ストーリーを置いておき、今、なんでもないここにリラックスしてみるのもオツですよー。
っていうことなんです。

ストーリーに支配されるのではなく、それを味わうためにも、一度置いてみるんです。

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