Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

というわけでね。
いきなり昔ことばで始めさせていただきましたが、
この一節は鴨長明の「方丈記」の一節です。

意味としては、

河の流れは途絶えることなく常に流れていて、
しかも、そこに流れている水はもとの水ではない。
河の流れのよどみに浮かぶ水の泡も、出来ては消えていき、
常にとどまることはない。
僕らの世界もまた、これと同じようなもんだよね〜。

っていうね。
そんな意味です。

すなわち、「無常」について書いてあるというわけですね。

無常ときくと、なんだか切なく感じちゃったりするもんです。
だって、形あるものは必ず滅びる。ってね。
ちょっと寂しい感じがしますもんね〜。

でもまた、この無常こそが救いにもなるわけです。

 

思考がどうしても掴み取れないもの

まあ僕はこのせつなさって好きなんですけどね〜。
だって、やっぱりこれって「愛」じゃん?って感じますもん。
常にともに在りたいけどかなわない。って思いですもんね〜。

ま、こういうお話をしていると、どうしても思考というものが悪である。
手放されなければならないものである。
みたいなね。
そんなふうに感じてる方も多いかと思いますが、
思考は別に悪ではありませんし、
そもそも、善悪という分離すらありませんからね。

ただ、思考という働きってね。
とっても愛おしくて可愛くて、それでいて便利なものなんですが、
どうしても出来ない事があるんです。

それが、無常を掴み取ることが出来ない。
ということなんです。
この掴み取れないということが、せつなさを演出しているんです。

思考という働きの特性

無常とは、常に変わりゆく様という意味です。
そして、この無常こそがこの世界、この宇宙の実相です。

思考はそれを、あえてパッケージ化して掴み取るという働きなんです。
あくまでも「あえて」なんですよね。

なので、思考は実相ではありません。
だから思考で捉えられたものは事実ではないよ〜。
ということなんですけどねー。

なので、やたらと、真実は〜とか、事実は〜とか言われておったりするんですが、
べつにこの話って真実や事実を掴み取る話でもなければ、
思考を手放した状態を保つ!という話でもないんです。

ただ、思考という働きは「あえて」パッケージ化して掴み取っている一つの働きである。
ということなんです。

こういう働きですので、常に移り変わる河を、「河」の一言でパッケージ化しちゃうわけです。
そうすることで、いつも見えるこの河は、いつも通りの同じ河だ!ということに「あえて」しているわけですが、この「あえて」を忘れちゃってるというわけです。

ま、映画に夢中になって、ビュンビュン飛んでくる敵のミサイルを身体でよけちゃう!
感動の場面で涙しちゃう。

みたいにね。
その思考のストーリーに夢中になっているということなんです。
夢中になることでリアリティ感を感じているということなんですね〜。

ただ、どうしても僕らは思考のストーリーの中でも「嫌なもの」に夢中になっちゃうというクセがあるのでね。

それで、しんどいと感じるのなら、今だけ一旦これを置いておいて「あえて」だったことを思い出してみようよ。
という提案なんですよね。

無常の救い

そして、この「あえて」を置いておいてみると、元々の無常がちゃんとココに蘇るよ〜。
ってことなんですけど、この思考ではどうしても捉えられない「無常」のことを、
思考ちゃんは、
「全てが移り変わるなんて悲しすぎるぅ〜。」
って、抵抗したりもするんですが、
これは、捉えたものが失われてしまうという錯覚に過ぎないんです。

だって、流れてくる河の水は元の水ではないですが、ちゃんと次々と流れてきてくれるじゃないですか。
でも思考ちゃんは、条件反射的に、もうこの河がなくなってしまう!と錯覚しちゃうって感じですかね〜。

ですが、この無常。すなわち、あらゆることは常に起こっては消えていくということが、
すでに僕らは、救われていたということを改めて思い出させてくれるんです。

また、僕らは何も失うこともありません。
なぜなら、この河の流れを起こすポテンシャルは常にこの無常の中にあるからです。
このポテンシャルをイノチと表現しているわけなんです。

思考ちゃんは「あえて」を使って何かを掴み取った「てい」にしているわけですが、
僕らは何も得たことがないのと同様に、ココにある全体が失われることもないんです。

なので、もともと全部あるやーん!ってことでもあるんですね〜。

これもまた、救いなんです。

 

 

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