Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

不満は思いの中だけにある

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

最近はあまり外に出ておらず、
家でせっせとフィットネスサイクルを漕いでおります。

ちょっと漕ぎすぎでお尻が痛いです。

皆さんのフィットネスライフはいかがでしょうか?

さてさて、毎日がもう問題だらけ〜!
ってなことで、ほんとどうしたら良いのー!
と感じておられる方、多いと思います。

ちなみに人が悩む問題の一番多いものは人間関係なんだそうですね。
そしてその次がお金かな?

まー、そりゃー人間関係で悩むっていうのは、
そりゃそうなるだろうな!

っていう気はします。

そもそも、人間関係の悩みとは、
お互いの思いが通じない。
ということから来ておりますもんね〜。

でも、思いって、形があるわけでもないですから、
ちゃんと見せることも出来ないわけです。

だったら、それをお互いにあわせようったって
無理ですもんね〜。

無理を通そうとするから悩んじゃうんですよね。

また、思いって、完全にイメージじゃないですか。
イメージって、あるように見えて実際のところは無いものですからね〜。
そこを合わせるのは無理ですし、合わせようとしなくても全然いいんです。

好き嫌いだって合わないですもんね。
だから、思いだって合わなくても当たり前っちゃ当たり前なんです。

意見だって違って当たり前ですもんね〜。それで良いんです。

 

思いが問題の種

この思いが違うことが問題になるのは、この思いこそが事実であるという錯覚から来ているわけです。
だから、この思いが違うということは、どちらかが事実を誤認している。
と感じちゃうわけです。

そして、お互いに、あんた間違ってるよ〜!
ってなったりするわけですね。

この辺のぶつかり合いは、ネットのSNSなんかをみているとよく遭遇します。
これってねぇ。
思いが違うことが問題の種というよりは、そもそも思い自体が問題の種になってるんですよね。
もっと正確に言うとすると、思いへのこだわり、執着が問題の種になっていると言えるのかもしれません。

思い通りになることが満足?

また、僕らってね。
満足っていうのを、思い通りになることだとちょっと勘違いしているフシがあるんですよ。

確かに、思い通りになると満足するんですが、それは思い通りになることで、もうその思いを忘れることで満足しているんですよね。

あー!プレステ5がほしぃ〜!とか、
ハイブランドの服がほしい〜!とか、
恋人がほしい〜!とかね。

何でも良いんですが、こういうのって手に入れた途端、もうほしい〜!って思いはなくなりますよね。

つまり、満足っていうのは、
○○がほしい〜!っていう思いが出なくなることで感じるわけです。

思いって、無限に作れるじゃないですか。
つまり不満というのも無限に増えていくので、思いを叶えて不満をなくすのって限界があるんですよね。
それよりも、思い自体をあまり相手にしないほうが、満足できるんです。

合言葉は「ま、いいか♪」

満足とは満ち足りていると書きます。
そして、思いを働かせない限りは、もうすでにココは満ち足りているんです。
あらゆることはちゃんと確実に必然的ですし、この必然こそが奇跡なんです。

ココに何も足したり引いたりすることは出来ないんですよね。

そんな空間の中、足りなーいという思いが働いている間だけ、
僕らは足りないという幻想をみているというわけです。

思いが働いている間だけ足りないんです。

もっというと、この思いを真実であると錯覚しながら、思いを働かせている間だけ、
足りないというわけですね。

そして、足りないという思いは、
「こうあるべき」という架空のモノサシによって起こっています。

このモノサシってあくまでも架空のものですのでね。
こいつを破壊してやるんです。

実際には無いものなので、破壊しようもないんですが、
この「べき」のハードルをね、一旦ゼロの地平線にまで下げてやれば良いんです。

このハードルを下げる合言葉。
これが、
「ま、いいか♪」なんです。

 

 

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