Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【引き寄せの法則】この望みは叶うの?叶わないの??

はじめに

はい!
どーもおはようございますっ!
タクさんです。

今日も張り切っていきまっしょい!

というわけでね〜。ブログを今日も書いているわけなんですけれども、
なんだか最近、暑いですのでねぇ。
完全に引きこもり状態でして、どうにも話題がないんですよね〜。
なんか泳ぎたくはないけど、雰囲気だけ海のビーチを味わってみたいなぁ。
と感じております。

皆さんは、いかがお過ごしでしょうか?

さてさて。
ま、普段からよく、今のまんまの「私」を許してあげてね〜。
ってなことを書いているわけですが、
コレってね。
許すも何も、、、ってことなんですよね。

夜になると星空があらわれるのは許せんっ!
ってね。
普通は思わないじゃないですか。

だって、誰かがそうやってるわけじゃないんですからね。

川の水が高いところから低いところに流れることがどうしてもきになるっ!
ってなことも、きっと思わないと思うんですよね。

これもねー。
別に誰かがやっているわけじゃないからなんです。
誰も何もやってないことに対して、そもそも許すも許さないも無いんですよね。

でもこの「私」に対しては、結構この「許さない」をやっちゃうんです。
許すも許さないも無いものに対して、「許せん!」をやるから変に話がこじれちゃってるわけなんです。

 

自我ちゃんのストーリーはワンパターン

ま、思考ちゃん。すなわち自我ちゃんは、話がこじれてくれることをどこかで望んでいる節があるんですよね。
なぜなら、自我ちゃんは思考のストーリーが尽きてしまうと消えてなくなってしまうからです。
自我ちゃんはイメージ、すなわち妄想のストーリーが尽きると消えてしまうんです。
だから、僕らが「私」に固執している間は、このストーリーが尽きず延々と繰り返されるんです。

ただこのストーリーもねぇ。そんなに豊富なネタがあるわけでもないので、結局の所なにをやるのかというと、壊れたスピーカーのようにずっとおんなじストーリーを繰り返しているだけだったりするんですよねー。

ま、この壊れたスピーカーの繰り返しの大きな原動力の一つが「許せん!」だというわけです。

あらわてくる望みによる悩み

でね。
よくある「許せん!」のひとつが、何かとの比較によって自分が足りないという幻想を抱くことから始まっているわけなんですけどね。

この比較対象が、いわゆる自分の望みだったりする場合もあるんです。

この望みをどう叶えていったら良いのかわからないし、そもそも叶うのかどうかもわからないし、
本当にこの望みって叶うんだろうか?諦めたほうが良いんだろうか?って悩んだり、
将来、望みがかなっていないことを想像すると怖くなったり、、、。

でも望みを持つのは良いことだし、夢や希望を持つことって素敵でしょ!って思うので、この望みは捨てたくないし、、、、。

ってな感じでね。
やっぱりこれもまた、壊れたスピーカーになっちゃうパターンもあるんです。

そもそもどんなことも、誰も決めていない

でもこれもねー、望みを捨てるとか持つとか、そんなことって誰もやってないんですよね。
ほら、皆さん、好きな食べ物ってあるじゃないですか。

これね。
自分で決めてます???
きっと決めてないと思うんですよ。

「よーし、アタシってば、明日からカラスミが大好きになるんだいっ!」
ってね。
やってないと思うんです。

そもそも、食べられるものにしたって、自分で決めてないですよね。

例えば、家で飼ってるカメさんは、草食なので、野菜や草しか食べないんです。
肉とかは一切食べないんですよね。

僕らだって、色んなものを食べますが、土に手を突っ込んで養分を吸い取るようなことはしませんし、石ころたべて、
「うーん!うまいっ!絶品!!!」
とはならないじゃないですか。

どれもこれも全て、自分がそう決めてそうしているわけじゃなく、
ただ、そうあらわれているだけの話なんです。

引き寄せの法則

コレと一緒でね。
望みってのも、別に自分が決めたものじゃないんですよね。
だから、いろんな望みが湧いてくるってのも、至極まっとうな現れとして現れているわけでして、なにも「私」に責任があるわけじゃないんですよね。

だからね。
そういう望みが現れるのなら、きっと叶うためにそうなってるのかもしれないし、
そうじゃない別のなにかのきっかけになることなのかもしれないし、
そもそも理由を探る必要性もなくて、
「へぇ〜。そうなんだ」
でおしまいの話でもあるんですよね。

腹が減るのと同じなんです。
べつに望みを捨てるとか捨てないとかする人っていないんですよ。

だから、あえて言うなら、やれることだけ淡々とやればよくて、後はなにか勝手に思いつくだろうし、ふと気になる本の一文があらわれたり、誰かに出会ったりするわけですのでね。

それにおまかせしておけば良いんですよ。
邪魔をせずにね。

なにも、望みがかなってない自分を責める必要もなければ、どうしたら良いのかわからないことについて、悩んでも仕方ないですからね〜。

ま、出てくる望みがあるのなら、それにおまかせしておけば良いんです。

引き寄せとかいうメソッドもよく聞いたりしますが、あれも基本は、壊れたスピーカーによって停滞させないためのコツみたいなものでして、それ以外になにかやることなんて無いんです。

引き寄せるというよりは、そもそも引き寄せられていることの邪魔をしないって感じなんです。

 

 

引き寄せは毒になったりもするんです。
そんな質問もちょくで聞きたいと思ったなら
ぜひご検討くださいまし!!

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