Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「私にはまだ、脱落が起きていない」という抵抗

はじめに

はいよっ!
おはようございます。
タクさんです。

自我ちゃんの目的ってね。
どんな形であれ、この自我ちゃんを存続させることが第一命題なんですよ。
自分がよりよくなるよりも、むしろどんな形であれ存続させようってするんですよねー。

ま、そんなところが可愛いやつでもあるんですけど。

でね。
そんな自我ちゃんの正体とは、モノではないんですよね。
いわゆる動きのようなものなんです。
なので僕は、これを働きであるって表現しているんです。
そして、この働きこそがいわゆるストーリーなんです。

なので、
自我ちゃんはこのストーリーを存続させようとする働きである。
と言えるんですねー。

だから、探究の終わりを妨げるのもまた自我ちゃんの大事なお仕事の一つなんです。

この自我ちゃんストーリーを存続させるために自我ちゃんはありとあらゆる抵抗を試みるんです。
あらゆる抵抗は全て、ストーリーを継続させるためのものなんです。

というわけでね。
今日は、いわゆる悟りにおいてよくある自我ちゃんの抵抗について書いてみたいと思います。

 

「私にはまだ、脱落が起きていない」という抵抗

僕が好きなメルマガで、pariさんが配信されているアセンション館通信というメルマガがあるんですけどね。
↓こちらです。

www.mag2.com

何が好きなん?っていいますと、ほら、やっぱり文章って行間から人柄がにじみ出るじゃないですか。
このメルマガからは、行間からとてもいい感じの人柄を感じられるんですよね〜。

最近は、YouTubeやTikTok、音声メディアではVoicyのようなアプリが増えてきて、メルマガやブログはそろそろオールドメディアになりつつあるのかもしれませんが、まあでもオールドメディアなりの味もあるんじゃないか?
と感じております。

でね。
このメルマガでこの前、「私にはまだ、脱落が起きていない」ということがテーマになっておりまして、
ああ、このパターンの「私はまだ足りない」っていう抵抗ってよくあるし、変な話、スピ系の先生たちの中には、この抵抗を刺激する人もいたりするよなぁ〜って感じました。

「あなたは本当にわかったと言えますか?」
「まだ、あなたには修行が足りないのではないですか?」
「本当にあなたに至福が訪れたと断言できますか?」
「あなたの体験はまだ入り口に過ぎません。まだあなたの中にはいろんな抵抗が残ってるんじゃないですか?」

なーんて聞かれたらねぇ。
「うん。まだまだだわ。。。」
って思っちゃいますもんねぇ〜。

宗教の問題もこういうところにあるのかもしれませんね。

この「私にはまだ、脱落がおきていない」という錯覚は、探求者を惑わす最も巧妙なワナのひとつなのかもしれません。

自我ちゃんの抵抗はとても巧妙である。

自我ちゃんの抵抗はとても巧妙なんです。
そもそも、自我ちゃんの最大の目的は、ストーリーを存続させることですからね。
そのストーリーの内容は二の次なんです。

なぜなら、自我ちゃんは思考のストーリーの中にしか存在できませんからね。
このストーリーが止まってしまうと、自我ちゃんは消えてなくなるんです。

っていうか、元々無いんですけどね。

このストーリーを存続させるためのエサは探求です。
そして、この探求は「足りない自分を埋める旅」なんです。

だから、常に渇いていなきゃならんのですよね。
だから、渇いているという演出を仕掛けてくるんです。

「私は何かがわかったと言えるのだろうか?」という問いもね。
これまたストーリーを存続させるためのエサなんです。

これで良いとは思えないよね?という思いは、あるがままではダメだということを意味しますからね〜。
こういった思いが、探求を促し、あるがままをあるがままにしておくことへの抵抗となるわけです。

脱落するなにかなんて元々存在しておりません。

よく心身脱落が悟りの体験であるといった事が言われておりますけどね。

これってあくまでも自我ちゃん目線での表現なんですよねー。
実際には何かが脱落するということではないんです。

心身。つまり思考や身体や感情。こいつらが働きであること。
そして、実体があるものではないということが単に見抜かれるだけの話なんです。

何かが私から脱落するわけでは無いんですよね〜。
そもそも、脱落するようなものが元々ありませんからね。

そして、目の前のあるがままは、そのまんまで完璧だと悟ること。
それが、ストーリーからの目覚めなんです。

そのまんまとは、
思考がまだ今じゃないどこかへ向かうことを期待していることも含みますし、
自分が消えてしまうという恐怖があることも含むんですよね。

それでもうすでに完璧なんです。

これはとてもシンプルです。

鏡や窓なんかに写った自分の姿をみて、僕らは当たり前のように、
「あ!わたしだ!」
って感じますよね。

そんな感じで、目の前のあらゆるものも
「あ!わたしだ!」
と感じます。

それはとてもシンプルで当たり前な感覚なんですよね〜。

そして、全てだけがあることが思い出されるんです。

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